和力 夏の名古屋公演

2015年07月18日 | Weblog

  当日のプログラム(クリックすれば大きくなります)

 7月11日(土)、名古屋市・北文化小劇場で開催された和力公演に行った。
名古屋駅に降り立ったのは午後1時過ぎ、かなりの蒸し暑さである。
いつも舞台の記録撮影をする弟・雅義が参加できないので、雅義から預かった撮影機材を背負っての移動だ。汗だくになりながら地下鉄乗り場をさがす。
「黒川駅」下車、4番出口めがけ延々と歩き、上りまた上りそして歩き、ようやく出口の階段下までたどり着く。
出口への階段がこれまたしんどい。地上に出たら息が弾み苦しいので、横丁のコンクリート出っ張りに座って呼吸をととのえる始末だ。
黒川駅から15分ほど歩いて、「北文化小劇場」に到着。本日の持てる力をほぼ出し尽くした感がある。

 わたしが大汗をかいて到着したものだから、実行委員の方が「控室は冷房が利いているから休んでください」と勧めてくださる。
お気持ちはありがたいが、わたしにとってもう一つの難関苦行が控えているのだ。
開演までに撮影体制を整えなければならない。
わたしは機械音痴だから、三脚を広げ、ビデオカメラを固定し、それにコードをつなぐことが苦労なのである。
雅義が、取り扱い説明書をつくっているのだが、カメラ本体にどのコードを差し込み、延長コードとどうつなぐのか、その上、カメラの電源、スタートボタンにいつも迷うのだ。
 不安はとうとう現実のものとなった。
カメラへつなぐコードはうまくいった。延長コードもある。しかしこの2本のコードだけでは、うまくつながらない。機材入れのあちこちをさがしても出てこない。
焦り、思い余って雅義に電話する。
「ジョイントコードがないらしいが、どうしたのだろうか。家の中を探して折り返し電話する」……「やっぱりないので、撮影はあきらめて舞台を楽しんでください」。
ロビーに出て、三脚をたたみカメラを収納していたら、今牧正則さんが通りかかった。「わたしが持ってきたカメラを固定して記録しましょう」と、客席に入り準備万端整えて下さった。
「電源はどこにあるだろう」と椅子を上げてみると、なんとそこにジョイントコードが横たわっているではないか。
みなさんにご苦労と心配をかけて、開演間際にわたしの撮影体制が整った。




 客席内を見渡すとすでに満席にちかく、会場係の方々が座席の空きをみつけ「こちらにお一人様」、「升席には3名様」とご案内に忙しい。
午後4時開演。
カラン カラン カラン 昔わたしが子どもの頃、学校の用務員さんが始業時間・終業時間のたびに、打ち振って鳴らしていた大きな鐘の音と共に朗が登場、「こまの芸」が始まる。
和力公演の18番(おはこ)として、お客さんたちもゆったりと楽しんでいた。
そういえば、和力結成は2001年だから今年で15年目だ。
加藤木朗、木村俊介、小野越郎、3名のメンバーがそれぞれ専門の分野を深めながら、多彩な芸を披露してきた。
こまの芸(大道芸)、篠笛、津軽じょんから節などは、一人だけの芸でお客さんを惹きつける。
今回の第一部では、多い場面でも3人だけの舞台であった。
次の演目「祇園太鼓」を観ながらわたしは「シンプルで柔軟、舞踊の要素がはいり、奥深さを感じる太鼓さばきだ」。軽やかな身の捌き音の柔らかさで、疲れた気持ちが軽やかになっていく。




 和力夏の名古屋公演、第一部の演目が進んでいく。
15年の歳月で切磋琢磨された芸が、シンプルで底知れぬ深さをもってきたかと、カメラを操作しながら舞台を楽しんだ。
第一部の終章「お囃子紀行」では、秩父屋台囃子の「テケテケテケテケ」の拍子が、秩父特産の生糸を積んだお馬さんが歩むさまを表わしている…とか、水口囃子は近江商人が江戸から持ち帰った「江戸囃子」がその素になっているなどの紹介があり、その情景を想像しながら聴くことができた。
 第二部は「音舞語り 牡丹灯篭」であった。帯名久仁子さんのお琴・胡弓の演奏も加わり、ドラマが進んでいく。
再演された「牡丹灯篭」であるから、わたしは何回も観ているのだが、亡霊であるお露の切なさに心が寄り添い、花嫁衣装に身を固め「花嫁ごりょうはなぜ泣くのだろう」の演奏と共に乱舞するお露の気持ちに同化した。

 午後4時の開演であったから、終演すぐに機材をまとめて名古屋駅に向かう。東京駅に雅義が機材を受け取りに改札口で待っていて、わたしが家に帰り着いたのは、午後10時過ぎであった。
15年をむかえた和力を楽しんだ1日となった。