「同窓会」閉じる

2019年10月30日 | Weblog

 

 わたしが4年間学んだ、「都立戸山高校定時制課程」同窓会の解散総会が7月に行われ、10月にはいって同窓会最後の「金蘭会だより・最終号」が送られてきた。

この「金蘭会だより」に投稿を求められ、「なにを書くか」しばし迷い一文を寄せ、それが掲載されている。

この一文を書くのに少しばかり苦労した。なにせ字数の制限がある。

「なにを書こうかなぁ」……鮮烈に思い出したのは、始業時間に間に合うよう職場から路面電車に乗り、吊革に手を掛け居眠りでガクンと膝が折れ、つんのめりそうになったことが数度あったことだ。昼の労働を終え、学校へ通うのだから眠くもなる。

定時制は「学ぶ」場であったが、働いて収入を得ながら「学ぶ」二重生活でもあったのだ。

思い起こせばわたしは、小学6年生からその「二重生活」をしている。

 

 わたしは、小学6年生から新聞配達を始め、朝4時には肩から紐を掛け新聞を抱え、担当する地域を歩いて配ばり、朝食を食べ学校へ行く生活を中学終了までつづけた。そのうえ下校して夕刊も配達していた。

その収入で「給食費」を払い、学用品などを調えていたのだ。

もっと幼い頃は、道路に落ちている釘などの金属類、ガラスの破片などを拾い集めて屑屋さんに持ちこみ金に換え、駄菓子屋や紙芝居屋でせんべいや飴を買う資金にした。

その路上稼ぎにくらべ、新聞配達は安定した収入源だったから「新聞少年」は沢山いた。

 

 わたしの世代は、中学校を終えると就職する者が多く、高校へ進学する者は少なかった。

スーパーもコンビニもなく個人商店が賑わう時代だから、卒業すれば親が生業にしている仕事に就くか、あるいは町工場に弁当を持って通う生活にはいる。

その頃「記者もの」の本がはやりで、昼夜を分かたず悪を追う新聞記者がヒーローだった。

わたしは新聞少年として、新聞記者を身近に感じていたから、学業を修めてその道に進もうと、高校進学をめざしたのだ。

全日制都立高校を受け合格。新聞配達で貯めたお金で入学金を支払い、靴やかばんや制服などそろえる。

がしかし、高校入学を機に新聞配達を辞めたから手元は不如意だ。教材費もかかるし工場見学のバス代も要る。

わたしはこの工場見学のバス代がなくパスし、級友が乗ったバスをひとり見送った。

やはり稼ぎながら学ぼうと、全日制を1学期で辞め定時制に転校した。

 

 家からはかなり遠かったが、新宿にある戸山高校定時制の編入試験を受け合格。

入学に際して担任になったS先生は「他の学科はいざ知らず、数学で0点をだしたら、即退学だからな」と、脅しをかけた。

わたしは国語・社会などはまぁまぁなのだが、数学はちんぷんかんぷんなのである。

編入試験でもS先生の担当教科である数学は振るわなかったにちがいない。

中途入学であったが、働きながら学ぶ者同士、クラスにすぐさま溶けこみ、多分、数学や物理・化学などそして英語も振るわなかったが、「除籍処分」を受けず4年間を全うできた。

そして指折り数えてみると、卒業して63年になる。

 

「卒業して63年になる」と題して寄稿した文章は以下のものだ。

 

 7月6日(土)に「金蘭会総会」が高田馬場で開催された。

年毎に参加者が減るのは高齢化の故であろう。特に恩師の参加が目に見えて少なくなるのは「寄る年波に勝てず」、天然自然の理に添うことで寂しいが仕方ない。

今年の総会には、恩師が2名だけ参加された。

わたしはこのうちのお一人、武藤徹先生に授業を受けたことがある。先生は全日制課程で数学の教鞭をとっておられ、わたしたち定時制課程の授業を偶に応援することがあったようだ。

わたしが先生の授業を受けたのは2回ほどしかなかった。

卒業を目前にした時期、武藤先生の授業があった。「みなさんは間もなく社会人になる」、「社会に出たら知っていて欲しいことがある」と語りだした。

「保険」の話であった。「庶民から集めた『保険金』が、戦費としてどのように使われたか」をグラフで説明し、「わたしたちが拠出するものがどのように使われるのかを見守らなくてはならない」と強調された。

わたしは「金蘭会」の集まりで武藤徹先生にお会いしたとき、60数年前のこの授業内容を鮮烈に思い出したのだ。

「金蘭会」の集いには欠かさず参加され、社会の動きについて警句を発せられる。先生の近くに住む金蘭会役員によると、自らの主張を街頭に立って署名活動などもやられているようだ。

1925年生まれ、1959年から1967年「NHK教育テレビ・高校数学講座」初代講師を務め、著作多数のお人が、90才半ばのお年で社会に目を向け活躍されている。

わたしは今年で80才になった。高校で学んだ期間は4年間であるから、長い人生行路では一瞬の間であるかも知れない。

しかし高校を卒業して63年になる今、わが来し方をふりかえれば、この4年間があったればこそ滋味の多い人生を刻めたのではないかと思う。

月並みな言葉になるが、「良き師」、「佳き友」、「善き先輩・後輩」に恵まれた4年間ではあった。

 

 この「金蘭会だより」最終号に、武藤徹先生が一筆寄せておられる。

★94才になりました。毎週金曜夜の国会デモに参加しています。(数学教諭・武藤徹)

 

 

 

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