私の着物が生き続けていく…

2007年12月07日 | Weblog
 今年のお正月に「和力と一緒に新年会」を、松戸市の森のホール「レセプションホール」で開いていただいた。
「レセプションホール」にステージはない。多分、普通には立食パーティとか結婚披露宴などに使われているのだろう。

 ステージがないから、演者と観客は同じ平面で接することになる。村の社(やしろ)でのお正月をイメージして、客席の半分は座布団を敷いて座るようにして、その後ろにはパイプ椅子をならべた。
 照明などの変化はないものの、親しみやすいステージでお客さんは喜んでくださった。

 和力の演目が終わりお神酒や汁粉をいただく。ステージ部分に長机が運び込まれて、和力メンバーがお客さんと対面しての交流会もやられた。
 時間が経って片付けに入る。パイプ椅子に座っていたお年寄りが「来て良かった。今度はいつ見ることができるのだろう」と、何回も繰り返し話していたと言うことを聞いた。
 おばぁちゃんの隣にいたSさんが「幸せそうに話しかけてくる。こちらまで豊かなうれしい気持ちになってきた」と言っていた。

 わたしは直接お会いしなかったが、その話は記憶の底にいつまでも残っていた。でもどこの誰とは分からなかった。
 先日、このおばぁちゃんから電話がかかってきた。「私がいつも和力の事を思っているものだから、和力からお手紙がきました。私の気持ちが通じたのだと嬉しかったです」。
 わたしの弟、雅義が「和力広報担当」で、年に何回か「和力ニュース」を発行し、11月に和力ファンに送付してくれた。和力の支援者とアンケートを書いてくれた方々に送っている。おばぁちゃんはアンケートに、自分の住所・氏名も書いてくれたのに違いない。

「足が不自由になってきたけど、近くで和力の公演があれば、タクシーでいくから教えてください」と念を押されて電話が切れた。

 ちょうどよい機会が訪れた。和力がアメリカ公演をした直後に一週間ほど、松戸・柏地域でライブをする。
 北松戸駅に近い所で、「和力と一緒に新年会」を30名規模で行うことが決まった。30名はまたたく間にいっぱいになったが、わたしは数人の枠を確保してもらって、このおばぁちゃんHさんにお知らせの手紙を出した。

 昨日、Hさんから電話が入った。「せっかくのご案内なのだが、歩くことができなくなって友だちを誘いに行くこともできない。とても残念だ。所でわたしが持っている着物を和力さんが使ってくれないだろうか」とおっしゃる。
 さっそく朗に問い合わせた。「ありがたいお話です。ぜひいただいて下さい」。

 Hさんにその旨をお伝えする。「嬉しい。役にたててもらえるのですか。わたしの大事にしていた着物が、これからも生き続けていくのです…」。

 わたしは「着物が生き続けていく」という言葉にびっくりした。我が身はいずれ滅びようとも、自分の愛し大切にしてきたものが、生き続けていく。自分が信頼し愛する者たちの手によって、生命を吹き込まれ歴史を刻んでいく。

 82才になるHさんのお宅に来週お伺いすることになった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする