地域の再生と伝統…

2007年04月08日 | Weblog
「松戸」…。東京下町・北千住に住み、小学生だったころのわたしには、草深い「田舎」というイメージが「松戸」にはあった。
「田舎に行けばアケビや山ブドウが藪の中にわんさと成っているだろう。採りに行こうよ」と遊び仲間といっしょに、初めて松戸に降り立ったのは50年も昔のことだ。
 田んぼや畑が広がる農村地帯であった。草深い藪地はない。少し勾配があって山に入りこんだかと喜ぶと、すぐに途切れて道の両側は管理が行き届いた竹林であり、野の幸はなにも得られないでがっかりして帰った覚えがある。
 いまでは人口48万人、東京のベッドタウンとして急速に大きくなった。

「和力」は、一昨年1月に7人の実行委員のお力で、初の「首都圏公演」を松戸市で成功させていただいた。
 更には3年の間に「ホール公演」4回、「ライブ」を3回も実施してもらっている。

 取り組んでいただいた方々は、和力をわが子のように愛して下さり「和力を知ったわたしたちの手で、和力の魅力をもっと多くの人に知ってもらおう」と、さまざまな人・集まりに声をかけて、和力出演の機会を模索してくださる方々がいる。また和力の芸の力を「地域の再興」に結びつけたいと、踏み出した方もおられる。

 松戸市は水戸街道が通る宿場町であったから、歴史に残る町並みもたくさんある。「矢切地域」もその一つである。しかし「東京外環道」の建設により町の様子が大きく変わってきた。
 「矢切の渡し」に近い下矢切に、130年前の明治の蔵を所沢から移築、「ギャラリー喫茶・結花(ゆい)」がある。
 コンサート・うたごえ喫茶・沖縄の三線(さんしん)教室・朗読教室など、地域に根ざした多彩な活動を行っており「和力」のライブを昨年と今年の2回やっていただいた。
 オーナーの増田美恵子さんは、「和力の伝統芸能を通して町に出ていき、矢切地区の再興のきっかけをつかみたい」と願っておられる。
 それのみか「伝統木構法」の権威であるご主人(増田一眞様)の講演・セミナーにもご同伴になって、時間をいただいては「和力」のことをお話くださっている。

「甦る住文化」(菊間満/増田一眞共著)には「明治維新以来の欧化政策は(中略)東洋文化の否定、伝統の否定、過去の一切の否定という形をとり、伝統文化のすぐれた面とヨーロッパ文明の粋とを融合させるという創造的な方向をとりませんでした…」(j-fic出版)と記されている。この本を拝見しながら、伝統芸能を現代に受け継ぎ・甦らせる活動をしている「和力」と、伝統構法を継承・発展させる運動を展開している建築家・お職人の方々との、「伝統」を受け継ぐ共通性を認識させられた。

 地域に根ざし、伝統を研ぎ澄ましている方々との触れ合いが、いずれは実現できるだろうと楽しみにしているところである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする