連なる歴史をおもう

2007年02月06日 | Weblog
「わらびっこはきれいだなぁ わらびっこはつよいなぁ わらびっこはやさしいなぁ わらびっこは面白ぇなぁ かならず らい年また来いな!」…。

 1954年、TBSラジオで「村を行くうたごえ」としてわらび座が紹介され、放送の中で児童(小4)の感想がこのように読み上げられている。

 1953年「日本の伝統芸能を学びたい」と東京から移住し、秋田県に住み着いた横山茂さんたち8名の若者たちを最初に受け入れたのは、学校の子どもたちであった。
 先生方も「秋田は民謡の本場だといわれているが、酒の席で唄われるものしか子どもたちは知らない。わらび座のやっている健康な歌と踊りをぜひ子どもたちにみせたい」と、学校での公演実現に力を注いでくれた。

「わたしは、50年ほど前、秋田県の川辺という山奥の分教場で育ちました。そこにわらび座の横山さんたちが来て、本当に貧しい服装でしたが、歌や踊りやお話をしてくれました。毎年、中学を出るまで続いて、わらび座の時間は子どもたちが待ち望んでいた時間でした。
 二つのあざやかな思い出があります。
 同級生のK君は悪さをして、水のはいったバケツを持って立たされていました。わらび座が終わって横山さんたちが帰るとき、その前を通った横山さんがニコッと笑って、ひょろっと背の伸びたKの頭をなでてくれたのです。そしたらKはボロボロッと大粒の涙を流しました。そしたらS先生が「K! ほら! わらび座の横ちゃんが、いいって言ったから、もういい。家さ帰れ! 今日、わらび座さ見たんだから、もう持たなぐてもいぐなって、いがったな」と言ったのです。Kはわーっと泣いて帰っていったのです。
 もう一つは私自身のことですが、3月の卒業の頃、わらび座を呼んだときです。「わらび座の人、帰るってよー」という声で、私は外に出て、恥ずかしいから離れたところから「さいならー、さいなら―、また来てけれなー」と送っていました。横山さんがツツツーと私のところに来て(私、鼻たらしていたんです)、そのアオッパナを横山さんのハンカチだったか、今でいうティシュペーパーであったかで、ヒュ―ッって抱きしめるみたいにして、かんでくれたんですね。それが恥ずかしいって思いでもなんでもなくて、母さんにされたような感じだったんですね。(以下略)」…(横山茂CD制作ニュース№2 宮下敏子さんの発言の抜粋)

 宮下敏子さんから10月29日(日)に「武蔵野公会堂」で開催される「横山茂・和力 連なる3世代の祝・祭」公演へのチケットの申しこみが電話であった。このようなお話をされていたことは思いもよらずに、チケットをお送りした。
 電話では「川辺の山奥でわらび座を毎年、楽しみに見ていた」という事、「もしかしたら加藤木さんは熱海でわらび座の営業をしませんでしたか」とも尋ねられた。「私の友人が熱海にいて、わらび座が目指していることを加藤木さんからお聞きして、日本の文化について考えさせられた…と、若い頃、話していましたよ。加藤木という姓が珍しいのでよーく覚えています」。

 わたしは、熱海ではNさん宅に居候させてもらって、静岡県東部地域の営業をしていた。伊東・下田・三島・沼津など熱海梅園近くのNさんの下宿先から、営業に通っていたのだ。Nさんは豪放磊落な方でその下宿にはたくさんの若者が常に集まっていた。
 朝ご飯は、Nさん宅の崖上に住むSさんがいつも面倒をみてくれた。わたしの若き時代のたいへんお世話になった、思い出ふかいところなのだ。

 その頃のことをご存知なのにはびっくりした。と同時に人と人との出会い、繋がりの妙に不思議な感慨をもった。

「武蔵野公会堂」公演が終わり、暫くして宮下さんからお電話をいただいた。
「和力の舞台は、まっすぐでとても力強いものでした。わたしは今、障害をかかえていますが、あの舞台から生きる勇気をもらいました」とお礼をいわれ、ありがたいことであった。

 そういえば、今年1月14日(日)「和力と一緒に新年会」が、松戸の「森のホール21」レセプションホールで行われ、82才の女性が言っていたことも思い出される。
「どんなものか知らずに来た。来てよかった。この年まで生きていて和力に出会えて幸せだ。元気が出てきました」と、何回も何回も言ってくれていた。
 昨日、別の仕事でお会いした女性も「うつ状態で家に閉じこもっていたけれど、和力をみて力が湧いてきた。わたしでもなにかが出来ると思うようになった」と元気に話していた。

 まっすぐに映えわたる舞台は、確かに多くの人たちの気持ちを朗らかにし、明日への力の糧になっているのだろう。
 かっては、わらび座の舞台を全国に持ち歩き、今、和力を取り組んでいるわたしは、連綿として連なる歴史を感じているのだ。

 舞台の持つ力・それを表現する横山さんや、朗たちを通して多くの人たちが、内から迸り出るエネルギーを実感している。
 文化の持つ作用を普く発揮する、連なる歴史を思うのだ。


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