TOKIDOKI 日記

日々のなかで、「へぇ~」「ふぅ~ん」と思った、
私につながるステキなコトやモノ、そしてヒトたちの記録です。

あたらしい命

2009-07-28 | kanon

  深夜の産科棟

 ナースステーションでは当直の引き継ぎが行われていて、
 その奥の分娩室が並ぶ廊下は、ひっそりと静まりかえっていました。

   

 

 

 ソファやクロゼットが置かれ、ホテルの一室にいるようにデザインされた分娩室は
 寛げる雰囲気で、部屋のタイプは好みで選べるそうです。
 部屋の照明はほの暗く絞られ、妊婦がリラックスできるよう配慮されています。

 

     

     あたらしい命を迎えるベッドが分娩室に運ばれ、
     助産師さんがテキパキと出産の準備をすすめていきます。

                 

 

 準備室で陣痛の間隔が短くなるまでを過ごし、2分間隔くらいになってようやく
 分娩室へ移動します。陣痛の間隔や長さは個人差が大きく、とくに初産婦では
 お産に時間がかかることが多く、初めて母となる日を迎えるのは、妊娠から
 出産まで長きにわたり、精神的・肉体的にそれはそれはたいへんなことです。

 

 分娩室での時間はどんどん過ぎていきます。
 壮絶な痛みが何度も繰り返して妊婦を襲い、妊婦はその痛みを乗り越えようと
 ただひたすら
必死にがんばります。
 どこかの分娩室から「痛い~~~っ!」と、悲痛な叫び声が聞こえてきます。

 女性だけに与えられた特別な痛み、そして苦しみ、
 生命を分かつ者だけが体験できる崇高なドラマであるだけに、その過程は厳しい。

 

 分娩室に入ってから3時間半が経過。
 妊婦の苦痛に歪む顔を見つづけているこちらも緊張の連続で、
 それにもまして長い苦痛を耐えている妊婦を思うと、
 一刻もはやく生まれてきてほしいと気持ちばかりが焦ります。

 渾身の力をこめていきみがはじまる。
 お産というのは、長い痛みを耐えてきた最後に
最大のパワーを発揮しなければならな
 
い。血を、肉を、骨を分け与えた新しい生命を、闇から光の世界へと導きだす最後の
 仕上げは、ことさら苦痛を伴うんですね~。

      

      頭の一部が出はじめた!

      

      助産師さんの両手が忙しく動くなか、
      待ちに待ったあたらしい命が
すこしづつ姿を現してきます。

       頭部に続いて上半身がでて、

      そして全身が現れ、あたらしい命はこの世に生を受けたことで
      「オギャー!」と産声をあげます。 

      この元気な産声によって、それまで張りつめていた部屋の空気感が
      一挙に和らぎ、歓びと安堵に変わります。
      あたらしい命が生まれいづる瞬間、なんて素晴らしい一瞬なんでしょう。
      この世でいちばん尊いと思えるリアルな一瞬です。

 

      

      へその緒の処理を済ませ、生まれたてほやほやの赤ちゃんを
      すぐにおかあさんの胸へのせてあげます。
      こうすることで、子は胎児のときに感じていた母の温もり、声、心臓の音
      などなど、
懐かしい記憶にふれて安心することでしょう。
      それまで泣いていた子は、母の胸にふれてピタッと泣きやみ、
      何か考えるように母の感触に浸っているように見えました。

      こうしてしばらく母と子は、静かにふれあいの時を過ごします。
      そのとき、母となった大きな喜びに加え、
母性が芽生えます。

 

 

      

      さて、赤ちゃんは計測のため、お母さんから離されベッドに入れられて
      大泣き。手足をバタバタさせて泣きじゃくります。
      まぁまぁ元気のよいこと! 体重計の針が揺れて計れないほどです^^

 

      

      誕生から1時間後、やっと産着を着せてもらえました。あったか~
      まだお風呂は入っていませんが、バラ色のきれいな肌をしています。
      あ、女の子ですよ。。

 

 

 いまではお産のスタイルもずいぶん進歩?して、
 産婆さんを呼びに行って自宅で出産するなんてことも聞かなくなりました。
 病院出産も、分娩室で家族に見守られながらリラックスした雰囲気で
 行えるようになったりと、オープンなかたちになってきました。
 機会があれば、出産シーンに立ち会ってみることをおすすめします。
 どんなに時代が進もうと、生命の誕生、その神秘さに変わりはないと思います。
 リアルさにふれる、またとない機会となるでしょう。


ウォールデン

2009-07-23 | 

いまから100年以上も前に、H・D・ソローによって書かれた『ウォールデン・森の生活』は、現代においても、いや現代においてこそ読むべき本の一冊といえる素晴らしい内容です。けれど、この本を手にし読み進んでいくと、多くの人がその難解さと退屈さに途中で投げ出してしまうという本でもあって、かくいう私もそのひとりで、何度か投げ出してはまた読んでといううちに、やっと本の真価を見出した次第です。

そして今回ここに「ウォールデン」のことを書いておこうと思ったのは、久しぶりに本屋で買った小説、ポール・オースターの「幽霊たち」のなかに、この本が小道具の一つとして登場したからなのです。登場人物の一人が「ウォールデン」を読んでいることで、もう一人の登場人物もたまたま同じ本を買って読むことになるのですが、私にとっては、オースターの小説に「ウォールデン」が出てきたのはちょっとした驚きでした。

オースターは、「ウォールデン」について、『「ウォールデン」の難解さには定評がある。読書経験豊かな、洗練された読者にとっても厄介な本である。ほかでもない、あのエマソン(ソローの親友といえる詩人)でさえ、ソローを読んでいると不安で惨めな気分になってくる、と日記に記している。』こう述べているんですね。

で、「幽霊たち」の登場人物の一人が「ウォールデン」と格闘する様子を描いていて、それには、際限なく無駄話がつづき、退屈な言葉が並ぶ本、途中まで読んで気がつくと頭には何も残っていない。そこでもう一度最初から読み直す。すると、『書物はそれが書かれたときと同じ慎重さと冷静さとをもって読まなければならない』この一文にいきあたり、じっくり読まなければと思い、これによってある程度の成果を挙げることになります。

「ウォールデン」を読み始めた人の多くが陥るワナ? そんなところが描かれていて、私にとっては偶然にも、読みかけの「ウォールデン」を再び読みだすきっかけになりました。偶然は必然なりって、ほんとうですね。

さて、本の中の登場人物は、あきらめずに「ウォールデン」を再読するのですが、やがて本を投げ出してしまいます。オースターはそこで、『この本が要求している通りの精神でそれを読むだけの忍耐を見出したなら、彼の人生全体が変わりはじめるはずだということを、少しずつ少しずつ、彼の状況について、彼のかかわるあらゆるものについて、すべてを把握するにいたるだろう。』そう書いています。
ストーリー全体からすると、わずか2ページ足らずの文章のなかに書かれた「ウォールデン」についての記述ですが、これだけでもどれほど内容の濃い本であるかがわかります。

それでも、オースターの「幽霊たち」に、なぜ「ウォールデン」が出てきたのか、それが謎です。ストーリーの展開とは、これといった関わりがあるとは思えないし、またそんなふうに読者を考えさせるオースターという作家が、はなはだ魅力的であるということに加え、どこかストイックで、人間の洞察力に優れた作家であり、また詩人であることも、そうなのかなと思います。
まぁ、どちらにしろ数少ない好きな作家の本に「ウォールデン」が出てきて、それがリンクしていたというのを知り、なんかうれしい発見でした


オオムラサキ

2009-07-08 | 写真日記

日本の国蝶・オオムラサキが、羽化のシーズンを迎えました。
そこで、今回の山歩きはオオムラサキ観察地に近いところにして、下山後はいそいそと
オオムラサキセンターに向かいました。

 

オオムラサキは、日本のタテハチョウのなかでは最も大きいとされる蝶で、オスは青紫色の美しい翅が特徴。日本全土に広く分布し、種の基産地は神奈川県で、私の住む周辺でも発見できる可能性は大いにアリなのですが、まだ見かけたことはありません。

 

山梨県・北杜市にある『オオムラサキセンター』は、オオムラサキを観察するために設立された自然施設で、館内にはジオラマや世界中の蝶の標本映像室などがあって知識を高めるのに役立ちます。 そして、オオムラサキの生態観察に最適なのが「びばりうむ長坂」、
ここでは自然生息そのままのオオムラサキを観察することが可能です。

この日は、オオムラサキがサナギから羽化する感動的な一瞬を目にすることができました!

オオムラサキは、太陽の光にとてもよく反応するチョウで、それで曇りで光量が不足気味だったりすると飛ばないそうです。「びばりうむ」内でも、オオムラサキは陽が射して明るくなると飛び交い、陽射しが少なくなると葉や幹にとまりジッとしています。

    
 クヌギの樹液を吸うオオムラサキの成虫と、葉を食べて育つ幼虫のムーちゃん。

オオムラサキの写真を撮りたいと目をキョロキョロさせて歩いても、相手は気ままなチョウだけにどこにいるかわかりません。
ま、ここは粘り強くチャンスを狙ってと。。
けど、今日は日曜日とあって、チョウを見に来ている人も多く、そういった人たちの姿を注意して見ていると、カメラを向けていたり、何人かが集まっていたりするところは、オオムラサキがとまっている撮影ポイントだとわかります。で、そういう姿を見かけたら、とりあえず行ってみる野次馬根性も、チョウとの出会いには必須です(笑)


オオムラサキのオスとメスでは、翅はオスの方がだんぜん綺麗な青紫色です。
メスはオスに比べ目立たない焦げ茶色で、大きさでは勝っていて、オスより一回り大きい。被写体としては、華やかな翅のオスを撮りたいところ。

で、その美しい翅ですが、運よく葉にとまっているオオムラサキを見つけても、翅を開いているとは限らなくて、、、ちょうちょって、静止しているときは翅を閉じていることが多いです。

ずっと長いこと枝にとまっているけど、翅は閉じたまま、、、ちょっと翅をひろげて見せていただけないかしら
ああ、チョウに言葉が通じたら、、と、皆さんオオムラサキを囲んで熱い視線を送ります。
でも~彼はそんな人間たちの思いをよそに、ピタッと翅を閉じて涼しい顔。。。
とまぁ、いろいろありましたが、ナントカ美しいオオムラサキの姿をカメラに収めてきました。

   
   
青紫の翅がとても綺麗なオス

 

   
   
オスよりひとまわり大きいメス 翅はこげ茶色

日本で見られる蝶には、オオムラサキの他にも美しいチョウがいますよね、アサギマダラ、ギフチョウ、アゲハチョウなど。でも、国蝶とするには全国に広く分布し、誰でもが見られて、親しみのわくチョウとなると、それら候補が絞られ、最終的にオオムラサキが国蝶に決まったようです。

さて、さきほどオオムラサキのサナギを観察したところ、そろそろ羽化しそうに思えたので、また様子を見にいってみます。

     
   
殻に包まれているものの、翅が透けて見えます。

 

   
   
もぞもぞ動きだしたサナギの殻が割れはじめました。

 

   
   
バリバリッて、音はしませんが、殻がさらに割れて、、、

 

   
   
青紫の美しい翅が現れました!

ここまで夢中でシャッターを切っていたら、旧にシャッターボタンが動かなくなって
うわ~ん、カードがいっぱいでエラー表示
ここぞという瞬間にかぎって、、、でもまあ、こんなもんです(´д`)ハァ~
ソク気をとりなおして、いらない画像を削除してと、。
サナギから羽化したばかりのオオムラサキです。  

 

この世に生命がもたらされる瞬間、青紫色の翅が殻を割ってでてくるそのとき、生命の神秘、その不思議な美しさを目にして感動しました。
「生きる」
って、素晴らしいですね!  

   

   


Rainy dayは美術館へ 

2009-07-03 | 写真日記

雨の日が続いています
傘をさしての散歩も悪くないけど、こんな日のお出かけにいいのが美術館。

川崎市民ミュージアムでは、ハービー山口さんの写真展 PORTRAITS of HOPE』が開催されているので行ってきました。

ミュージアムは多摩川べりの等々力緑地にあって、周囲を緑に囲まれた寛げる雰囲気の場所です。朝から降りつづく雨に、木立の緑は白く煙り、あたりはいっそう静けさを増しています。館内もひっそり、訪れる人もまばらな美術館。 

  

エントランスを入って、まず目についたのがこのイス。
座ることを拒否する椅子』と、タイトルがついた岡本太郎氏の作品。たしかに座ることを拒否するように、ギザギザの歯がついていたり、穴があいていたり、お尻を突き刺すような突起があったりといろいろ。でも中にはそういうのがないのもあったので、
どっこいしょと腰を下ろしてみると、痛っ!  
一見なにもなさそうに見えてもシカケはあって、それは骨にひびく硬さでした。 

 

階段を上がった2階の展示場ホールには、ユニークなオブジェが。。

    

床から生えだした黄色の頭部が、上半身、全体、となって各個に分かれ上がっていき、それがこんどは青に変わって、さかさまに下に降りていく、、、おもしろいですね~

 

さて、本題の写真展ですが、モノクロームの写真が表現する優しい光と影、、、ハービーさんの写真をはじめて見たとき、写真のやわらかな感じがとても印象的でした。
240点に及ぶ今回の展示作品のどれも、ハービーさんの優しさが伝わってくると同時に、生後3か月で病に侵され、それが思春期までつづき、そうしたことから孤独や絶望をあじわい、そしてその末に得たもの、そのメッセージが写真を通して語りかけてきます。

よく、「見えないものが写しこまれているのが、いい写真だ」と、聞きます。
見えないものとは、何でしょう。 そう、それは「こころ」です。

「写真という手段で、人々の心を優しくしたい、そうしたら私のような落ちこぼれでも生きていく隙間が社会にできるのではないだろうか」
ハービーさんのメッセージにあったこの言葉が、そのまま写真にこめられています。だから、写真を見ていると優しい気持ちになります。

 

               

 

写真が並ぶ壁に、ときおりハービーさんの「声」が架かっています。
ほんとうですね~ このような気持で相手に対し、写真を撮らせてもらったら、きっと素敵な写真が撮れることでしょう。
一期一会の出会い、一瞬を大切にしたいですね。

 

ハービーさんの作品に、いまはない同潤会アパートの写真が多数あります。
あの古びた、それでいて妙に味のある建物とその一隅は、都心にあってほっとできる数少ない場所のひとつでした。それが取り壊されると聞いて、ハービーさんは足繁く通って写真を撮り続けたそうです。
私も知っている場所だけに懐かしく、独特の雰囲気をもっていた建物や場所が、跡かたもなく消えてしまったことを残念に思う一人です。でも、これも時代なのでしょうか、いまの近代的なガラス張りの建物より、あの場所にはあの古びた建物が似合っていた気がします。

               

    よい影響をあたえてもらった写真展でした。。