TOKIDOKI 日記

日々のなかで、「へぇ~」「ふぅ~ん」と思った、
私につながるステキなコトやモノ、そしてヒトたちの記録です。

赤沢宿

2015-04-20 | 写真日記

はじめて赤沢宿を訪れたのは、2月も終わりの頃で、
フクジュソウが集落のいたるところで花開き、
セツブンソウが散らばるように咲いて、見頃を迎えていた。

連れていってもらわなければ訪れることもないであろう山間の集落
かつて宿場町として栄えた古い町並みがひっそりと山の斜面に並ぶ。

集落の入り口に「信仰と安らぎの里/赤沢宿」とあった立札どおり、高みから見下ろす景色や
民家の間を通り抜けて歩く小道には、福寿草の鮮やかな黄色い花が点々と咲いて和やかな
雰囲気に包まれていた。桜の木も多く、春にはまたどんな景色が展開するかと思い再訪を
考えていたのが実現した。

 

山肌にへばりつくよう(標高550m)にして民家が並ぶ早川町赤沢(重要伝統的建造物群保存地区)
いまから100年ほど前、身延山と七面山に参拝する日蓮宗信徒の宿場町として賑わったそうだ

その昔は、行き交う大勢の信徒で活気があったであろう集落も、いまは歩く人すら
見かけない静けさに満ちた山間の集落で、

ところどころで目にするソメイヨシノや枝垂れ桜の薄紅色の花が、静けさのなかに
華やかさを浮かび上がらせていた。 
 

   

 

赤沢宿のインフォメーション センターとなっている清水屋さんに向かう。

集落のなかで唯一の休み処清水屋。
旅館だった建物を一部改装して赤沢宿の案内所兼無料休憩所にしている。
コーヒーや甘酒など、カフェ的な要素も盛り込まれ、
1Fスペースをギャラリー、物販の場として活用。

 日本画の展示開催中

赤沢宿の雰囲気をよく伝える日本画 

 

  

入り口から急な階段を上がって2階へ。
見晴らしのよい部屋には炬燵が置かれ、お茶をいただきながら寛げる。

赤沢集落全体の雰囲気もそうだが、どこか懐かしい面影があって、
炬燵に入って足を伸ばしていると、久しぶりに帰ってきた我が家にいるような
まったり感がある。時代が進み、暮らし方もすっかり洋風化した今日ではあるけど、
障子と襖で区切られた部屋の紙と木による素材の温もり、
開け放った廊下越しに
望む景色など、不思議と落ち着いた気分にさせてくれる。

部屋の障子を開けると正面に七面山。

 

その昔、泊り客で活気づいていた旅館も、現在営業しているのは江戸屋旅館一軒だけ。
白い車が止まる右横段の上の赤い屋根が江戸屋。今夜の宿泊先だ。

 

 旅館としては機能していないが

昔の面影を色濃く残す建物が通りに並び、軒下にズラリと掛けられた講中札から
当時が偲ばれる。

別名「板マネギ」とも呼ばれる講中札は、講の定宿の印。

 

七面山登山口にある案内図を見ると、身延山に詣でた信徒は山道を3時間かけて下り
春木川を渡って、また半日かけて七面山へ向かったそうだ。その道程の途中にあるのが
赤沢集落で、信仰登山の休憩、宿泊地として発達した。

 

   

集落内の歩道は石畳が敷かれ、傾斜地を緩くカーブしながら集落の上下を結ぶ。
この石畳の道が赤沢宿の景観をとても引き立てている。

   

道の途中には水場が設置され、歩く人への優しい配慮が感じられる。
また石畳の発案はじめ赤沢の景観向上の計画、そして実行には、Uターンした
若者が中心となって結成された青年同志会によると聞いて、頼もしく思った。
歴史ある文化や自然景観もほっぽり放しでは寂れるばかりかいつか消滅してしまう。
「地方創生」が政策の一つとなっているいま、自分が生まれ育った故郷の良さを再認識
するとともに、光を当て、活気を取り戻すべく若い人たちが活躍してほしいと切に思う。

 

翌日の昼食は、気になっていたそば処/武蔵屋を予約して行ってみた。
石畳の坂道を上がった高台にある蕎麦屋さんで、赤沢宿内ただ一軒の飲食
施設でもある。 地元のお母さんたちが交代で打った蕎麦で味がいいと
評判の店だ。 ただ土日のみの営業なので、前回来たときは店が閉まっていた。
この日、すでに店内は満席に近い状態で混んでいたので、それならと外にある
テーブルでいただくことにした。

蕎麦に小鉢と天ぷら、キビを混ぜたご飯が付いた定食で¥1000
細く繊細なそば、ツユともにおいしく、天ぷらは朝に採ったという山菜が添えられ
季節の旬をいただくことができて、全体のボリュームも申し分なく、評判どおりの
おいしい蕎麦屋さんだった。

庭を縁取っていた 
黄色いサクラソウ、キバナノクリンザクラ???

 

付近を歩くと、随所で桜が満開

  

春の一日を心伸びやかに過ごせた赤沢宿だった。