和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

申し上げます。

2008-11-09 | Weblog

前回。田母神俊雄氏を取り上げましたので、その続き。

雑誌「Will」2008年12月号の巻頭コラム「天地無用」は、「底力」という題からはじまっておりました。ちょっと長いのですが全文引用しましょう。

「麻生太郎首相は9月29日の所信表明演説の冒頭部分で、自己の信念とするところを次の如く断言した。いわく。私は、悲観しません。私は、日本と日本人の底力に、一点の疑問も抱いたことがありません、と。一国の首相が議場でこのように改めて宣明せねばならぬほど、我が国の報道機関(マスコミ)は、日本を暗い面からのみ論評してきた。占領軍が植え付けた自虐史観が今もなおメディアに幅を利かし、教育界をも深く汚染しているのである。呉善花(オソンファ)が非常に印象的な現実として報告しているところ(『MOKU』10月号)によれば、彼女が意識的に、日本人が蓄積してきた世界文化という切り口から講義し、『日本の歴史と文化』を主題に選び、毎回受講生に感想を書かせたところ、何人もが口を揃えた如く、なぜ、高校までの間に、こんな内容を教えてくれなかったのか、と嘆いて回想し、高校まで日本がいかにだめな国かを教わってきたけれど、今は日本人としてとても誇らしく感じる、と書いてきた由である。
中山成彬(なりあき)元国土交通大臣が現今の教育現場に対して強く疑念を表明し、橋本徹大阪府知事が同感の意を語ったのも、実は的確に真実を衝いているのである。」


やはり、真実を衝いているかどうかは、話を聞いてみるに限りますね。
マスコミに躍らせられずに、ネットならば、私にも確認できる。
その簡単な道がひらけているようでありますが、どう思われますか。

まずは、麻生首相の所信表明演説を、読み直してみましょう。
まずは、「就任に当たって」の箇所から。

「申し上げます。日本は、強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります。日本は明るくなければなりません。幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、ほほ笑む国民だったことを知っています。この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。蘇らせなくてはなりません。日本国と日本国民の行く末に、平和と安全を。人々の暮らしに、落ち着きと希望を。そして子どもたちの未来に、夢を。わたしは、これらをもたらし、盤石のものとすることに本務があると深く肝に銘じ、内閣総理大臣の職務に、一身をなげうって邁進する所存であります。私は悲観しません。わたしは、日本と日本人の底力に、一点の疑問も抱いたことがありません。・・・わたしは、変化を乗り切って大きく脱皮する日本人の力を、どこまでも信じて疑いません。・・・」

「暮らしの安心」という箇所ではこうも語っております。

「暮らしの安心について、申し上げます。
不満とは、行動のバネになる。
不安とは、人をしてうつむかせ、立ちすくませる。
実に忌むべきは、不安であります。
国民の暮らしから不安を取り除き、強く、明るい日本を、
再び我が物としなくてはなりません。・・・」

こういう言葉を引用していると、オバマさんよりも、よい演説と私は聞きます。テレビでの識者の言葉に、この所信表明演説をほめた方がおられたでしょうか?


ところで、「ウェブ時代 5つの定理」を書いた梅田望夫(もちお)氏は、
こういっておりました。
「いちばん大切なのは、成熟した大人の側こそが若者たちに向け、心が萎えるような言葉を浴びせるのではなく、前を向いて生きる希望を生み出すような素晴らしい言葉を発し続けることである。そのためには、新しい技術や新しい事象を前にして、何歳になっても前向きにそれを面白がる気持ちを持ち続けなければならない。そしてオプティミズムに満ちた未来志向のわくわくする言葉で、若者たちを勇気付け、鼓舞するのである。言葉の力を信じて、大人たち一人一人がそういう営みを続けていくことによってしか、創造的な社会は生れないと私は思う。」(産経新聞3月2日・梅田望夫)
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