和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

石巻日日新聞。

2011-05-13 | 地域
そういえば、テレビで見た石巻日日新聞のことが気になり、新聞を探す。たまたまあった日経新聞4月16日にありました。そのはじまりは

「東日本大震災で被災した『石巻日日(ひび)新聞』(宮城県石巻市)が震災直後、フェルトペンの手書きで発行を続け避難所などに張り出した壁新聞を、米ワシントンの報道博物館『ニュージアム』が譲り受け、展示に加えることになった。同博物館が14日までに明らかにした。」

 日日新聞の壁新聞が写真入で掲載されておりました。

そういえば、と「梅棹忠夫語る」(日経プレミアシリーズ新書)をひらく。
そこに、こうありました。

小山】 この梅棹資料室にある資料は、知的生産の技術のひとつの結晶として、アーカイブズとなって残されています。日本人はアーカイブズの処理が下手ですよね。
梅棹】 だいたいがあまり上手ではないな。
小山】 梅棹さんは以前、なかなかいいなと思ったものに大宅文庫があるとおっしゃってましたね。あれはどういうところですぐれてたんですか。たとえば週刊誌とか雑誌とか、そういう雑雑としたものが集められている。
梅棹】 そういうものを探そうと思ったときは、大宅文庫に行ったら出てくる。大宅壮一と奥さんの大宅昌さんがずっとやってきたことで、当時は週刊雑誌みたいなもの、みんなバカにして読み捨てやった。それを全部きちっと整理して残してたんです。
小山】 週刊誌は、図書館はもともと買わなかったですね。
梅棹】 買わない。つまり、大宅文庫は図書館とは正反対の思想やな。 (p76~77)

  さて、このあとでした。こんな箇所があるのです。

小山】 ぼくもアメリカとかイギリスへ行って、アーカイブズの扱いの巧みさというものを見てきました。パンフレットとか片々たるノートだとか、そういうものもきちっと集めていくんですよね。
梅棹】 アメリカの図書館はペロッとした一枚の紙切れが残っている。
小山】 その一枚の紙が、ある機関を創設しようとかっていう重要な情報だったりするんですな。それがきちっと揃っている。 (p80)



では、先ほどの日経新聞の記事のつづきを引用していきます。


「同紙は1912年創刊で、夕刊1万4千部を発行。武内宏之常務・報道部長(53)によると、停電と浸水で編集、印刷設備が使えなくなったが、無事だったロール紙を切り取り、社員が『日本最大級の地震・大津波』などの見出しで記事を書いた。被災した夜にろうそくの明かりの下で『ペンと紙があれば伝えられる。壁新聞で行こう』と話し合った。壁新聞は電気の復旧まで6日間、6カ所に張り出された。これを米紙が報道し、博物館が寄贈を要請。武内部長は『地域のためできることをした。光栄との感慨はない』と戸惑いながら『私たちは地元密着の新聞。復興は長丁場になる。地域の人々と一緒に苦しみ、悩み、希望を見出したい』と話した。
ニュージアムのクリストファーセン学芸員は『ジャーナリストたちは地域に欠かせない情報の提供に貢献した』と展示の意義を語った。」

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