「安房震災誌」をパラパラめくっていたら、
富浦村の「人の被害」という箇所に
「 富浦村は曾て安政の大地震にも可なりの
災害を被りしと伝へらるるも確然たる記録は勿論、
是れといふ言ひ伝へもないが・・・ 」(p97)
うん。安政の大地震の内容については語られていないのですが、
ここに『安政の大地震』という言葉が出て来ておりました。
「大正大震災の回顧と其の復興」上巻にも、安政の大地震に
触れた箇所がありましたので、短いから全文引用(p878~879)。
富津尋常高等小学校 八田知栄という方の追憶談でした。
「大正12年9月1日・・・児童を帰して職員大部分は職員室に
集まってゐた。私は広尾訓導に認印を押して貰ふ用事があったので、
高等科の教室に行って見ると3人ばかりの児童が残ってゐた。
やがて下から持ち上げられる様な気持でドーンと来た、
私は『地震だ。出ろ』と思はず叫んだ。
広尾訓導は『大丈夫だ』と云った
( 其の大丈夫だと言ったのは倒潰することはない、
夏休中に教室の柱を修理したからの意味で有った )
私は『何に出ろ』と言って外へ出た。
ころころと転げて畑の中まで転げ落ちた。
頭を上げて見ると『ガラガラ』と砂煙りを上げて
東側の校舎が倒れるのを見た。
私も広尾訓導も命を拾った、児童も早く逃げ出して居った。
私の父母は江戸で生れて安政の大地震のとき恐ろしい目に遭った。
母は常に『下から来る地震はこはいよ』と教えてくれた。
今更に母の言葉の有難味を覚える、
下から来る地震東京湾沿岸、三、四尺も隆起した
ところを見ると下からまくし上げたに違ひない。 」
そういえば、寺田寅彦のエッセイに安政地震のことが出てくる
箇所がありますので、最後にそこも引用して終ります。
「・・困ったことには『自然』は過去の習慣に忠実である。
地震や津波は新思想の流行などには委細かまわず、がんこに、
保守的に執念深くやって来るのである。
紀元前20世紀にあったことが紀元20世紀にも
まったく同じように行われるのである。科学の法則とは
畢竟(ひっきょう)『自然の記憶の覚え書き』である。
自然ほど伝統に忠実なものはないのである。
それだからこそ、20世紀の文明という空虚な名をたのんで、
安政の昔の経験を馬鹿にした東京は、
大正12年の地震で焼き払われたのである。
こういう災害を防ぐには・・・・しかしそれができない
相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し
過去の記録を忘れないように努力するよりほかはないのであろう。 」
(p184~185 寺田寅彦エッセイ集「科学と科学者のはなし」岩波少年文庫)
はい。8月28日(水曜日)に「安房郡の関東大震災」という題で
1時間の講座を語るのですが、これを導入部としましょうか。
安政の大地震と比べ、ありがたいことには関東大震災は過去の記録が
きちんと残されております。そして、その安房の記録を紐解いてゆく。