前田宣明編・著「石原純が残した記録 保田震災記」(保田文庫・2018年)
解説に
「保田震災記は、石原が保田で関東大震災を被災した時の様子や、
・・・を記したものである。原稿用紙に手書きされたまま残る
この文章は、石原の令孫森裕美子氏が館長を務める神奈川県
逗子市の私設科学館『理科ハウス』に保存されている。
・・震災後2か月以上を経た大正12年の11月の末ごろまでに
記されたものと思われる。 」(p48)
この石原純氏の『保田震災記』は、この本で31ページほどありました。
当時の安房郡保田町での被災の状況をその文から読むことができます。
「3日目からポツポツと町の壊れ家の片付けが始まり、
道路の通行に差支のない程度になりました。・・・・
食糧品などの不足が懸念されましたが、
白米は幸に町役場の臨機の処置で不自由なく供給されましたし、
又農家からは牛乳の処分に困って之を町に寄附しましたので、
私たちもその配分を受けることが出来たのは有り難いわけでした。」(p67)
などと、いろいろ興味深い箇所が随所にありました。
次の機会に、他の箇所からの引用をしてみたいと思います。
ちなみに、石原純については、こうあります。
「石原純(1881~1947)は、大正から昭和初期にかけて
理論物理学者・大学教授・歌人・科学ジャーナリストとして
多面的に活躍した人物である。
名前は いしわらあつし(じゅん)という。 」(p9)