名古屋場所の相撲が終わっちゃった。
時々思い出したように、録画して、
夕飯を食べながら、再生して見ておりました。
嘉風が負けっぱなしで、それでも2勝。
御嶽海の優勝。
録画は早送りして取り組み場面を見るのですが、
早送りせず、仕切りをみているのも楽しい(笑)。
うん。相撲の解説を聞いてたりします。
いただけないのが、インタビュー。
上位に勝った力士へのインタビューが
ベテランのインタビュアーと、
杓子定規のインタビュアーとで、雲泥の差。
全身に血流をみなぎらせている力士に、
頭だけ・口だけに血が流れているような質問をあびせ、
力士が口ごもる場面があったりする。
その点、最近の若い力士は、口も廻ったりします。
上の力士に勝って、うれしそうに答えていた力士が
次の日は、あっけなく負けてしまったりします。
まあ、それはそれとして、古本。
佐藤義亮著「生きる力」(広瀬書院・平成26年)。
これ、新潮社初代社長が雑誌に掲載した処世訓話本。
昭和11年発行本の復刊を、古本で買ってありました。
そこに、相撲の話が登場しております。
その最初を引用。
「 ある角力(すもう)とりの負けた話
事に当る前に神経を使ってイラついたり、
どうなるだろうかと、くよくよするのは、
何にもならないばかりでなく、かえって
事を破るところの因(もと)となります。
この前の夏場所に、ある角力とりから、
こんな話を聞きました。
『私は土俵へ立つとき、いつも、ただ
全力を尽くして相手と立ち合えばよい。
勝ち敗けは、考えたところがどうにもなるものでない、
ということが分ってから、それに囚われないようにしています。
そのためかどうか分りませんが、たいてい、
好成績を収めて来ましたところ、先日、
思い切ってひどい失敗をやりました。
それは土俵に立つと、私の名を呼ぶ大きな声が脚下に聞えるので、
ふとその方を見ますと、何年か会わなかった郷里の村長さんが、
村の衆を五六人連れて土俵際に陣どっているではありませんか。
私のような者でも、村から出たのでわざわざ見に来てくれたのだろうし、
殊に土俵際といういい場所に座れたのも、声援するに都合がよいから
の奮発であろうなどと仕切りする間に考えますと、これは、
何でも勝たねばならぬ、負けてなるものかと決心しました。
その時、顔がぼうとして、赤くなったことが分ったくらいでした。
いよいよ呼吸が合って立ちあがりましたが、
恐らく必死の面相をしていただろうと思います。
実に猛烈な勢いでぶつかって行ったのです。
然るにどうでしょう、一瞬、わずかに一瞬で、
土俵の外に投げ出されました。口惜しいやら、面目ないやらで、
部屋に帰ってから、ボロボロ涙をこぼしてしまいました。』
この話を聞いて、なるほど負ける筈だ、
どんなにしても勝てるものでないと思いました。
これは、畢竟相手に負けたのではなく、
自分の昂奮に負けたのです。ただ全力を
尽くして立ち合いさえすればよいという平生の心構えを
村長の一声に忘れてしまって・・・」
(p101~103)
この夏場所。名古屋場所は、団扇や扇子の
パタパタが場内全体に舞っておりました。
御嶽海の応援も、大きな名入り手拭をかざして、
日々入れ替わりでしょうが大挙しての声援が聞こえました。
横綱不在の名古屋場所となりましたが、
この夏の見どころは随所にありました。
時々思い出したように、録画して、
夕飯を食べながら、再生して見ておりました。
嘉風が負けっぱなしで、それでも2勝。
御嶽海の優勝。
録画は早送りして取り組み場面を見るのですが、
早送りせず、仕切りをみているのも楽しい(笑)。
うん。相撲の解説を聞いてたりします。
いただけないのが、インタビュー。
上位に勝った力士へのインタビューが
ベテランのインタビュアーと、
杓子定規のインタビュアーとで、雲泥の差。
全身に血流をみなぎらせている力士に、
頭だけ・口だけに血が流れているような質問をあびせ、
力士が口ごもる場面があったりする。
その点、最近の若い力士は、口も廻ったりします。
上の力士に勝って、うれしそうに答えていた力士が
次の日は、あっけなく負けてしまったりします。
まあ、それはそれとして、古本。
佐藤義亮著「生きる力」(広瀬書院・平成26年)。
これ、新潮社初代社長が雑誌に掲載した処世訓話本。
昭和11年発行本の復刊を、古本で買ってありました。
そこに、相撲の話が登場しております。
その最初を引用。
「 ある角力(すもう)とりの負けた話
事に当る前に神経を使ってイラついたり、
どうなるだろうかと、くよくよするのは、
何にもならないばかりでなく、かえって
事を破るところの因(もと)となります。
この前の夏場所に、ある角力とりから、
こんな話を聞きました。
『私は土俵へ立つとき、いつも、ただ
全力を尽くして相手と立ち合えばよい。
勝ち敗けは、考えたところがどうにもなるものでない、
ということが分ってから、それに囚われないようにしています。
そのためかどうか分りませんが、たいてい、
好成績を収めて来ましたところ、先日、
思い切ってひどい失敗をやりました。
それは土俵に立つと、私の名を呼ぶ大きな声が脚下に聞えるので、
ふとその方を見ますと、何年か会わなかった郷里の村長さんが、
村の衆を五六人連れて土俵際に陣どっているではありませんか。
私のような者でも、村から出たのでわざわざ見に来てくれたのだろうし、
殊に土俵際といういい場所に座れたのも、声援するに都合がよいから
の奮発であろうなどと仕切りする間に考えますと、これは、
何でも勝たねばならぬ、負けてなるものかと決心しました。
その時、顔がぼうとして、赤くなったことが分ったくらいでした。
いよいよ呼吸が合って立ちあがりましたが、
恐らく必死の面相をしていただろうと思います。
実に猛烈な勢いでぶつかって行ったのです。
然るにどうでしょう、一瞬、わずかに一瞬で、
土俵の外に投げ出されました。口惜しいやら、面目ないやらで、
部屋に帰ってから、ボロボロ涙をこぼしてしまいました。』
この話を聞いて、なるほど負ける筈だ、
どんなにしても勝てるものでないと思いました。
これは、畢竟相手に負けたのではなく、
自分の昂奮に負けたのです。ただ全力を
尽くして立ち合いさえすればよいという平生の心構えを
村長の一声に忘れてしまって・・・」
(p101~103)
この夏場所。名古屋場所は、団扇や扇子の
パタパタが場内全体に舞っておりました。
御嶽海の応援も、大きな名入り手拭をかざして、
日々入れ替わりでしょうが大挙しての声援が聞こえました。
横綱不在の名古屋場所となりましたが、
この夏の見どころは随所にありました。
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