曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)で
曽野さんは、信仰について
「 原則として言えば、人間が信仰を持つということは、
向きが変わることだと私は思っている。 」(p46)
どのように向きを変えるのだろうと思いながら、
気になった箇所がありました。
「 パウロが自分さえも裁かない、
というのはすばらしい言葉で、
『 自分の悪いことに平気でいよう 』ということではなく、
『 自分はよくやった、と思うな 』ということであろうと思われる。」
(p40)
この箇所は、私にとって思ってもいなかったことでした。
低いことばかり気にかけていたけれども、
高いところに蓋をしていたような気になります。
ということで、
こんな箇所もありました。
「パウロは、人間が高ぶることを何度もいましめている。
人間はほんとうは何一つ分かってはいないのである。
たとえ、いささかの発見をしたからとて、
それは途方もなく複雑で広大なこの世の仕組みの、
針でつついたほどの一部を明らかにしたに過ぎない。
私たちは賢いように見える人でも何も見えていないのだし、
たとえ多少ともましなことができても・・ 」(p64)
この少し前には、こうもありました。
「・・嫉妬は苦しいが、人を尊敬することは喜びだという実感を、
はっきりと確認し得たのは、私の場合かなりあとになってからである。
『 競って尊敬し合う 』というのは、
『 尊敬することにおいて人に勝りなさい 』
『 人を自分より勝っているものと思いなさい 』ということであろう。
実に生きる喜びの一つは、尊敬すべき人に出会うことである。 」(p64)
はい。向きが変わって、ちっぽけな自分を味わう気分になります。
うーん。『 人を尊敬することは喜びだという実感 』
う~ん。そんなことを思ってもいなかったなあ、今まで。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます