和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『腹をきめた』?

2024-04-30 | 地震
竹内政明著「読売新聞朝刊一面コラム『編集手帳』第二十集」(中公新書ラクレ)
をひらき、2011年の『対策統合本部』の言葉がある箇所から、2ヶ所引用。

「 政府と東京電力が一体となって原発事故にあたる
 『 対策統合本部 』の設置(3月15日)よりも、
  蓮舫行政刷新相に節電啓発担当相を兼務させる人事(3月13日)
  のほうが先というのも、ピントがぼけていた。 」
             ( p197 5月18日の一面コラム )

一面コラムの4月7日にも『対策統合本部』が出てきておりました。

「 『福島原子力発電所事故対策統合本部』では、
  どのくらいの人が働いているの?・・・・

  政府と東京電力が全情報を共有して事態に対処する、
  との触れ込みで震災4日後に発足している。

  放射能の汚染水を東京電力が海に放出することを
  農林水産省は事前に知らなかった。
  当然ながら、漁業関係者には伝わらない。
  外務省も知らなかったのか、
  通告なしの放出に憤る韓国政府から抗議を受けた。

  政府の各府省と東電が、目と、耳と、口と、脳みそを、
  ひとつ場所に持ち寄ってこその『対策総合本部』のはずである。

  疲労が重なっているのも分かるが、
  現場作業のような被爆の危険にさらされているわけではない。

  大事な局面で、やれ『 聞いていない 』だの、
  『 寝耳に水 』だのと内輪でもめる司令基地ならば
  存在しないのと一緒だろう。・・・   」(p143)


この箇所を読んで、安房郡長大橋高四郎の追憶が
思い浮かんできます。

「大正大震災の回顧と其の復興」上巻(昭和8年8月1日発行)で
この本の編者を昭和6年9月に引受けた安田亀一氏が、
関東大震災の時に、安房郡長だった大橋高四郎氏を尋ねて聞いた
内容を掲載しております。
万事そそっかしくて、あわてん坊の私が、
気になって、それでもって印象に残っている箇所がありました。

大橋高四郎氏は語っております。

「・・・役所も多分潰れたことであらう、が、
 今駆け付けて見ても駄目だ。
 現場へ行っては却て現場に捉はれてよい知恵は出ない。
 これは先づ此の松の木の下で計画を立てるに如かずだ。
 とおれは腹をきめた。 」(p817)

「・・併し、人の事を云う所ではない、
 手拭地の寝巻姿に細紐を帯に締めて松の根に掴まってゐた
 俺の姿もあまり見っともよいものではなかったらう。

 兎に角俺は考へた。こんな大震に会っておれの一家の
 無事なのは天が俺に大任を下したのだ。
 骨を粉にしても一つ大に働かねばならんとな。

 役所へ行ったのはかれこれ2時間も経ってからの事だろう。」(p818)



はい。最後に引用するのは2011年3月12日未明の出来事。
門田隆将の著書の第9章「われを忘れた官邸」のはじまりの箇所。

『菅首相が来ます』
『なに?』
 なぜ来るんだ?
 現地対策本部長の池田元久は耳を疑った。
 3月12日の未明、4時頃のことだった。・・・・

 一国の総理が、原子力事故のさなかに、その『現場』にやって来る。

 池田自身が現地に到着し、オフサイトセンターが立ち上がってから、
 まだ何時間も経っていない。
 そんな段階に総理がやって来るとは、どういうことなのか。

『 これだけの地震と津波で死者・行方不明者が大勢出ている状態です。
  現に事故が進行しているさなかです。私が霞が関を出る前に、
  すでにテレビにも映し出されていましたが、
  
  あの津波の濁流は凄かった。
  瓦礫の下で救出を待っている人たちも生存率は
  72時間で急激に下がっていきますから、
  最初の72時間は最大限、救出活動に全力を挙げるというのが
  世界の常識です。それなのに、
  総理が原発にやって来るということがわかりませんでした 』

  それは、国民の生命・財産を守らなくてはいけない
  国家のリーダーが、≪ 一つの部分 ≫だけに
  目を奪われていることを物語っている。

『 とにかく今やるべきことは、人命の救助だと思いました。
  そこに全力を挙げるべきだということです。

  それからもう一点は、福島に総理が来て、
  そこで指揮を執れればいいのですが、
  現地は、地上系の連絡手段をはじめ、
  全部ダウンしちゃてるわけだからね。
  通信状態は、極めて劣悪であるわけです。
  そこへ来ても、指揮は執れませんよ。

  だから原発事故についても官邸にいた方がいいわけです。
  大局観を持つべきです。
  物事の軽重について常識的な判断が必要だったということです 』

 大局に立てば人命救助が最優先であり、
 もちろん原発事故は重要だが、それならば、
 余計に官邸にとどまって指揮を執るべきだと池田は思ったのである。

 ・・・・・・・ 」(p131~132・単行本)
(門田隆将著「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」PHP より)
  

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