和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

蕗のとう

2024-04-29 | 安房
水田三喜男著「私の履歴書」は題名が「蕗のとう」となってました。
地元出身なので、父の数少ない蔵書の一冊です。
私が買ったわけでもなく、ひらいて読んでもいなかったのですが、
この際にパラパラとめくっていました。
その最後の方に、題名の由来が出てきておりました。

「  蕗のとう父亡き庭のそのままに

   送り来し母戻り行く冬田かな

  やはり両親が眠っている嶺岡山の
  山や田は、どこへ行ってもなつかしい  」(p141)


旧制の安房中の記述が、『海の時代』と『牛乳の国』との
境目の記述として印象に残ります。

「安房中学はその昔、カッパ中学といわれて水泳の名門校であった。
 7月から9月にかけて、水泳が正課の授業となるので、
 全校生徒は毎日の午後を海岸で過ごした。
 
 帽子と褌が階級を示していて、
 泳げないものは赤帽をかぶり、
 その上が白帽となり、黒い褌は白帽よりも上の階級になてから許された。
 
 山の中に育ち、泳いだことのない私はもちろん赤帽であったが、
 9月の試験では殆んどの級友は鷹の島までの遠泳にパスして白帽となった。

 2年生になると、水府流などの技法審査に合格して
 白帽に黒地を加えてゆく級友が多く、とうとう
 赤帽は全校生徒のうち私一人となってしまった。

 町を歩いていても小学校の児童から
『 中学の赤帽やあい 』とはやされるくらい有名になったので、
 3年生になってからはがまんができず一策を考えた。

 水泳の時間に海岸へ行かなくとも、学校に居残って
 柔剣道の稽古をしたものを出席扱いにさせようというのである。

 腕の強い仲間を集めて校長と談判した結果、
 とうとう念願を果たすことができた。
 水泳ぎらいな生徒はみんな学校に居残って道場はいつもにぎやかだった。

 翌年安房中学は両部とも揃って県下で初優勝した。
 それ以来優勝を続けていまでは武道の名門校となっている。
 剣道部は本年全国優勝をとげているし、
 柔道部もまた関東の優勝校であった。

 したがって私は、母校にとっては、
 柔剣道部を強くした恩人となっている代わりに、
 カッパ中学の伝統をこわした戦犯人の扱いも受けている。 」
                        ( p25~26 )


ちなみに、遠泳の目標だった「鷹の島」は
関東大震災の隆起にともない、
引き潮の際に、歩いて行けるようになります。そして、
そこを埋め立し現在は館山航空基地となっております。

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