震災と仏教とキリスト教と・・・
なんて思いがひろがります。
「生ききる。」(新書・角川ONEテーマ21・2011年7月10日発行)。
これは、瀬戸内寂聴と梅原猛の対談。
ここには、いろいろと仏教が語られてゆきます。
梅原】 行基(ぎょうき)や空也(くうや)上人はね、
天災や戦さで死んだ人たちの屍を供養した。
この行基・空也のような活動を仏教はやってほしい。(p53)
まえがきは、瀬戸内寂聴さんでした。こうあります。
「 東北といえば、私が1987年の5月から晋山(しんざん)した
天台寺がある所在地である。
岩手県二戸郡浄法寺町にある古刹天台寺・・・
私が51歳で出家した時、岩手県平泉市の中尊寺で得度(とくど)
させてもらったという縁による。私の師僧になっていただいた
今東光師が、中尊寺の貫主であられた仏縁であった。 」(p3~5)
瀬戸内】 私はね、坊さんになる時は本当に自分のために出家したんですよ。
・・・キリスト教でもよかったんです。・・・
けれど結局、坊さんになった。そうしたら、
天台寺は最澄の忘己利他(もうこりた)が根本でしょう。
人のために尽くすのがもっとも大切な行です。義務です。
やっぱり人のために何かしなきゃいけない思うようになった。
これはえらいことになったと思った・・・ (p54)
梅原】 ・・・私は日蓮の『地涌(じゆ)の菩薩』に注目します。
『地涌』という語は『法華経』の『従地涌出品』第15に出てきます。
『従地涌出品(じゅうじゆじゆつほん)』という通り、
いわゆる『本化(ほんげ)の菩薩』は天から舞い降りてくるのではなく
大地から湧き出してくるという考えです。
上行菩薩・無辺菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩が
その地から涌き出た四菩薩です。この四菩薩は
大衆の中にいて、大衆を導く仏です。というより、
大衆自身。今、被災者のことを考えると、彼らこそ
『 地涌 』の菩薩そのものなんです。だから必ず、
地から湧き上がる力を持っている。私はそう考えます。 (p52)
梅原】 ・・被災地で何をやらないといけないのかと言ったら、
それは瓦礫の撤去とともに、道を直し、橋を架け、
そして死んだ人を埋葬し、弔うこと・・・、
これはまさに行基集団が行った仏教です。
空也上人の仏教です。
また一遍(いっぺん)その人自身も、
病気を救ったりといろいろするけど、
特に二祖の遊行(ゆぎょう)上人、真教(しんきょう)は
一遍の教えを実行した人です。
この人は敦賀の気比(けひ)神宮で土木工事をしている。
水害で沼になっている参道に土を運んで来て埋め立てます。
『 遊行上人縁起絵巻 』を見てたら、モッコ担いだり、
土をならしたりと、土木工事そのもの。詞書を読むと、
貴い人も俗人も、僧も遊女も手伝ったとある。
さらに沼に住む亀が・・・ (p60~61)
さらには、第3章では、天皇陛下への言及もあります。
梅原】 ・・・・今、天皇陛下が被災地をお回りになっています。
鎮魂の役割を果たしている。象徴天皇というのは、
『 鎮魂する人 』という意味かもしれません。
・・・日本人が代々やってきた怨霊の鎮魂という、
そういうことを今の天皇陛下がおやりになている。 (p88)
梅原】 天皇がいらっしゃると誰でもありがたいと思うんです。
立ち直る元気が出てくる。不思議な力、
私は日本の天皇制が、今、ここで生きていると思う。
やっぱり何かシンボルがいるんですよ。
今度ほど、そういうものが必要な時はないんじゃないかな。(p89)
はい。私といったら、キリスト教ということから、思い浮かんだのは
曽野綾子著「揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録」
地涌の菩薩から思い浮かんだのは、
門田隆将著「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」
そして天皇陛下から思い浮かんだのは、
『安房震災誌』の御真影の箇所でした。
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