和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

京都の歴史の面白さ。

2020-02-06 | 京都
森浩一著「京都の歴史を足元からさぐる」(学生社)。
うん。その「洛北・上京・山科の巻」を手にして、
数行読んで、気になり、「洛東の巻」を古本で注文。
それが今日届く。ネットの日本の古本屋で注文。
一心堂書店(神田神保町)1100円+送料350円=1450円。
帯もありカバーもきれい。埃もシミもなし。新刊同様です。

はい。さっそく紹介しなくちゃね(笑)。
「はじめに」に、この言葉があります。

「ぼくがこの本で書こうとするのは
京都の歴史の面白さであって、
文化財の解説の羅列ではない。」

2007年5月とあります。
はじめにから、もう少し引用。

「いま78歳の半ばにきている。・・・
5年ほどまえから腎臓と心臓を悪くし、
人工透析をうけ胸にはペースメーカーを
いれながらの生活になり、病院で過ごす
時間が多くなった。そのため遠方への旅が
しづらくなり、あとのこされた日々も
あまりないと覚悟するようになった。

旅がしにくく、それと若いときのようには
山野を跋渉して遺跡を見て廻ることは無理
になった。そのような制約があるなかで
出来ることとは何か。のこされた時間を
集中するにふさわしいことは何かを模索した。

ふと気がつくと『京都の歴史を足元からさぐる』
ことがのこされている。このことは地域史の総集
としてもやっておくべきことになりそうである。」

「今回の探訪では妻の淑子がすべてに同道してくれた。
同道というより傍目には介護の人がついてきていると
うつったことだろう。・・・・・

読者一人一人が自分なりに足元から歴史をさぐることを
続けると、日本人に生れたことの生きがいを噛締める
ことになるだろう。・・・・」

ここまでくれば、
本文のはじまりを引用しておきます(笑)。

「ぼくは昭和41年(1966)8月に、大阪の狭山
(当時は南河内郡)から京都市へ転居した。
京都のマチ(以下京都と略す)の住人になってから、
この夏で41年めになる。

京都に住みだす以前から、ぼくと京都の関係は始まっていた。
敗戦の翌日(昭和21年)4月に同志社大学予科に入学した。
入学試験の前日、丸太町の旅館に泊まったのをおぼえている。
京都には当時の家があった狭山から電車で通学した。
毎朝5時台の電車に乗るのだから、ぼくはたいへんだったし
弁当を作ってくれる母もたいへんだった。

その頃の同志社大学予科では、明治18年に定礎の
おこなわれた煉瓦造りの有終館でたいていの授業をうけた。
・・・このようにして京都との関係ができるようになって
60年はたつ。京都はぼくの人生にとってもっとも
関係の深い土地となり、長年のあいだマチを歩くうちに
感じとったり考えたりした歴史についての話題は
たくさん溜まってしまった。・・・」(p12)

はい。こうして「京都の歴史の面白さ」が
語り始められてゆくのでした。

はい。わたしは、これで満腹。
先を、読めそうにありません。

「京都の歴史の面白さ」。だんだんと、
その先達に出会えた気がしてきました。



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