和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

講座参考本⑱

2024-08-11 | 地震
前回、吉村昭著「関東大震災」でしたので、
今回、吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)から引用。

「 三陸沿岸を襲った津波は、数知れない。
  その主だったものをひろうと・・

① 貞観11年(西暦869年7月13日)・・(「三代実録」による)
② 天正13年(1585年)
③ 慶長16年(1611年)10月28日
➃ 慶長16年11月13日
⑤ 元和2年(1616年)7月28日
⑥ 慶安4年(1651年)
⑦ 延宝4年(1676年)10月
⑧ 延宝5年3月12日(1677年4月13日)
⑨ 貞享4年(1689年9月17日)
⑩ 元禄2年(1689年)
⑪ 元禄9年(1696年)
⑫ 享保年間(1716‐1736年)
⑬ 宝暦元年(1751年)
⑭ 天明年間(1781‐1785年)
⑮ 天保6年(1835年)
⑯ 安政3年(1856年)
⑰ 明治元年(1868年)
⑱ 明治27年(1894年)
  明治29年6月15日
              (p60~62 「三陸海岸大津波」)

このあとに、章をあらためて「昭和8年の津波」が語られておりました。
「三陸海岸大津波」には、第二章「昭和八年の津波」に「子供の眼」という
箇所がありました。
そのなかに尋常小学校6年の牧野アイの作文が載っております。
ここには、そのはじまりの箇所を引用。

「 ガタガタとゆれ出しました。
  そばに寝ていたお父さんが、
 『 地震だ、地震だ 』と、家の人達を皆起して、
  戸や障子を開けて外に出たが、又入って来ました。

  けれどもおじいさんは、
 『 なあに、起きなくてもいい 』と言って、
  平気で寝て居ました。
  すると、だんだん地震も止んできました。
  お父さんは、それから安心した様子で火をおこして、
  みんなをあててくれました。
  ちょうど体があたたまったころに、お父さんが、
 『 なんだかおかしい。沖がなってきた、山ににげろ 』
  と言います・・・・       」(p130)


ここには、そのつづきを
 森健著「『つなみ』の子どもたち」(文藝春秋・2011年12月10日)
からたどってみることにします。

「アイの家は田老の浜辺から120メートルほどのきわめて近いところにあった。
 深夜に襲った地震に牧野の家族は逃げようと準備をした。
 アイはたまたま玉沢とし子というお手伝いに手をとられて、
 裏山の赤沼山へ避難したが、ほかの家族七人は逃げ遅れた・・・」(p248)

こうして牧野アイさんは、昭和8年の津波を経験し、
さらに東日本大震災にも遭遇することとなりました。
森健氏の本には、アイさんの娘・栄子さんの述懐があります。
最後に、その箇所を引用しておきます。

「 栄子の記憶には、アイのこんな習慣が深く刻まれている。
 『 母は津波を忘れないために、
   夜寝るときには、洋服をきちんと畳み、
   着る順番に枕元に置いておく。
   玄関の靴は必ず外向きにして揃えておく。
   避難の際は赤沼山への道を決めておく。
 
   また、お盆のお墓参りでは必ず墓碑銘を読みあげ、
   誰が津波で死んだかを口にしていた。

   どの振る舞いも母自身への津波への教訓であると同時に、
   私たち子どもたちへの防災教育でもあったのです。 』・・」(p250)

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