和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『意地悪ばあさん』の誕生日

2022-02-23 | 本棚並べ
長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」の長谷川家・年表から引用。

1966(昭和41)年~1971(昭和46)年まで
         『意地悪ばあさん』サンデー毎日に連載。

1967(昭和42 )年 『意地悪ばあさん』TVドラマ化(青島幸男氏主演)
          町子、入院、胃がんの手術

ちなみに、意地悪ばあさんや、サザエさんが連載中の
1970(昭和45)年 ノイローゼの学生による長谷川家放火未遂事件
というのがありました。


サザエさんを連載している時のことを、洋子さんが書いてます。

「毎日4時頃、新聞社のオートバイが原稿を取りにみえる。
どんなに気に入らない作品であれ、それまでに1枚は仕上げなくてはならない。

出来が悪いと思った原稿を渡してしまった日はずっと機嫌が悪く、
家に暗雲が立ち込めることになる。たくさんの愛読者に応えるためには、
昨日よりも今日のほうが、今日よりも明日のほうが作品はより面白く
なくてはならないと、半ば強迫観念に似た思いが姉を苦しめていたようだ。
始終、胃が痛いといって枕で胃の辺りを押さえていたし、
病院でもらうお薬も、あまり効き目がなかった。」
     ( p135「サザエさんの東京物語」の「町子姉の大病」 )

こうして、『意地悪ばあさん』が誕生する場面。
それが『サザエさん うちあけ話』の21番にありました。
そこの言葉をひろってみます。

「『いじわる じいさん』という外国マンガが、
 文春のマンガ読本に、レンサイされていました。

 主人公は、おバァさんのほうが
 グッと迫力があるのになァ、と、思いながら見ていました。

 老人ホームで、つかみ合いのケンカをするのは、
 きまっておバァさんと、いう話です。
 感じょう的で、生命力があります。

  ・・・・・

 サザエさんとて、コドモさんにも無害のホームマンガ。

 読まれる方は、無害でも かくほうは、取材はんいが、
 かぎられているから 四苦八苦です。
 ザッシ、エホンもふくめると 七千回以上 かいたのですから。

 ヒューマニズムに、あきていた ところに、
 サンデー毎日 しんねん号8ページを たのまれ、
 『いじわるばあさん』を かきました ・・・・」(p88)

そしてから、一年間の押し問答のすえに
41年1月から連載がはじまりました。


もうすこし、このブログで『いじわるばあさん』に
登場してもらおうと思うと、あらたまって、この誕生の
箇所を紹介しておかないといけないような気がしました。



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