和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

手の平を出して。

2012-05-05 | 本棚並べ
曽野綾子・クライン孝子対談「いまを生きる覚悟」(到知出版社)を読んでいたら、ある箇所で司馬遼太郎追悼の文を読みたくなった。というわけです。
まずは、本棚をさがす。
お目当ては、多田道太郎の追悼文。
三浦浩編「レクイエム司馬遼太郎」(講談社)に
それはありました。
「司馬遼太郎の『透きとおったおかしみ』」
下に小さく「大阪ジャーナリズムが生んだ偉大な才能を悼む」とある、多田道太郎の文。
司馬遼太郎の追悼文で、私はこれが鮮やかな印象を残しております。

たとえば、こんな箇所があります。

「僕は、どちらかというと司馬さんの長編小説よりも短編小説のほうがいいし、短編小説よりもさらにいいのが晩年にお書きになったものだと思うんですが、これは、エッセーとも学問とも文芸とも言いにくい、非常に不思議なジャンルをつくられたものです。それで、あるとき、僕にこう言われました。『僕の人生で一番いい仕事、将来残るであろう仕事は[街道をゆく]だ』。・・・」(p161)

まあ、何箇所か引用したいところが多田さんの文にはあるので、たまに読み直さなくちゃとは思うのですが。すぐに忘れる。

さて、読み直したかった箇所の引用をしてみます。

「何かの名誉を受けられたとき、彼の車にたまたま同乗させてもらったら、こんなことがありました。梅田駅まで行く途中で風景も覚えているんですが、『司馬さん、このたびはおめでとう』と言ったら『いやいや、ありがとう。ありがとう。だけど・・・・』。その後が非常に印象的なんです。手の平を出して、『この上に一粒か二粒ぐらいの塩みたいなものがある。これがなくなったときは大体もう人間として、あるいは芸術家として、しまいや』と、その自覚のある人でした。」(p158~159)

この「手の平を出して・・」というのが、どうも私には、わかったようで、わからない箇所でした。
それが、曽野・クライン孝子対談の
この箇所を読んだら思い出したのでした。

曽野】 ・・・足が悪い時は別ですが、基本は自分の足で歩いて、自分で切符を買って電車に乗る。・・・足のリハビリということもありますが、生活が浮き上がっては小説って書けないんですね。だから自分の生き方は現実から浮き上がらないようにしていました。
クライン】 わかります。物書きにとって生活が浮き上がったら絶対に人の心を打つような作品は生まれませんよね。(p145~146)


ちなみに、
多田道太郎さんの文をさがすのに
「司馬遼太郎の世界」(文芸春秋編)と
「司馬遼太郎の跫音」(中公文庫)も
本棚から取り出しました。
ということで、
山崎正和の「風のように去った人」を再読。
あと、松本健一の「歴史は文学の華なり、と」を
パラパラとめくっているところ。



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