読んだこともない尾崎一雄というのは、どういう人だろうと、
『日本の古本屋』の本の検索でもって、名前を打ちこむと、
いろいろ出てきました。この検索では当然著作が出てくるなかに、
雑誌とか、たどるのが分かりずらい対談集とかも探せる。
ああ、ここにあると、気づかせてくれる検索です。
「安岡章太郎対談集1・作家と文体」(読売新聞社・1988年)の
最初の安岡氏との対談者が尾崎一雄氏でした。
ちなみに、この本の装丁は田村義也。すっきりしています。
はい。はじめて読んでみました。
すると、江戸時代の菩提寺のことへ話題が展開する箇所がある。
そうだ、江戸時代の菩提寺といえば、
小林秀雄著「本居宣長」の冒頭の箇所が浮かんできます。
ここはおさらい。佐伯彰一氏の文を引用します。
「『本居宣長』の冒頭の一節で、宣長が死の直前に書き残した
自身の葬儀にかかわる遺言を、小林さんは・・解き明かしてゆかれた。
江戸時代のことで、各人の菩提寺がきっちりと規定されていたのだが、
宣長は、やはり自身のために神道の葬儀を、と綿密に式の次第から
お墓の場所、様式まで指定して・・・・
死にまつわる神道的アンビヴァレンスをいち早く見抜き、
把えたのも、じつの所『古事記伝』の著者であったが、
『本居宣長』を書き出すにあたって、まず宣長の墓所を
たずねずにいられなかった小林さん・・・」
(p59~60・佐伯彰一著「神道のこころ」の「日本人を支えるもの」より)
さて、安岡章太郎と尾崎一雄の対談でした。
尾崎一雄氏の家は代々神主の家系としてありました。
それに話題がゆくと、江戸時代の隠れ切支丹に触れる箇所がありました。
尾崎】・・・それは辻善之助という人の『神仏分離史料』という
でっかい本がある。それが切支丹禁制のために、
神主でも菩提寺を持たなくちゃいけないと、
だから死んだら過去帳はお寺にあるんですよ。
うちのも江戸時代の三代将軍以下くらいはお寺にあるんです。
というのは切支丹改めのあれでもって、お寺ですべて戸籍みたいな
ものを作っちゃったわけだ、過去帳を。
それで葬式をする場合も坊主がこれをやる。
神主が神式の自家葬ができないんだよ。
・・・・・・・・・・・・・・
それから僕のほうでは、僕の四代前くらいに尾崎山城守というのが
いたんだ。これがこのへんの神主の先頭になって江戸へ行ったんだ。
そして寺社奉行で一年ないし二年くらいの係争事件をやって、
勝って、それで自家葬をこのへん一帯認めさせた。
だから山城さんという名が上がっちゃったわけだ。
だから僕のうちはいまでも山城さんと言われている。
僕の子供の時分、ああ、これが山城さんのお孫さんかよう、
かわいいねと言って、どこかのおばさんが頭をなでてくれる。
山城さんてなんだろうと、うちで聞いたら、
それはこういうことがあって、坊さんと喧嘩して勝ったと、
それが江戸末期ですよ。新政府になってからはもちろん
そういうことは取っ払っちゃったわけです、
廃仏毀釈だから。 (p18~19)
ここで、尾崎一雄さんは著書『坊主神主』のことへ
言及しておりました。
「・・僕が書いたのは、島根県の浜田だったか、
そこの連中が藩主といくら談判してもけりがつかないんで、
とうとうみんなで金を持ち寄って、江戸の寺社奉行へ直訴
しようと企てるんです。
それを実行する直前にやっと当主と嫡男だけは自家葬でよろしいと、
藩主の許可が下りたんでやれやれと。・・」
うん。菩提寺。過去帳。自家葬。隠れ切支丹。それに廃仏毀釈と
神道を読もうするといろいろな言葉がでてくるのでした。
私は先日佐伯彰一さんの「神道のこころ」を注文してみました・・・
うん。ややこしいですね。
「日本の仏教というのは、
いつも地鎮祭というと
神主が出てくるでしょう、
どんな仏教のところだって、
あるいはお寺を建てるのでも、
地鎮祭には神主が出てくるかもしれないんだ。」
と、尾崎一雄さんは、この対談で語っています。
佐伯彰一著「神道のこころ」を注文された、
ということで。すごい。すごい。
のりさんも楽しめる本となるといいですね。
わたしには、まるで宝物の地図のような
気がする一冊です。もっとも、きちんと
読まなければ、それこそ、宝の持ち腐れ。
のりさんも読むとなると、
ややこしや。ややこしや。
何だか読むのが楽しくなります。