和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「ははあこれは面白い」と気がついて。

2022-02-04 | 本棚並べ
新潮文庫・竹山道雄著「ビルマの竪琴」のあとの方に、
竹山道雄の『ビルマの竪琴ができるまで』があります。
そこに印象に残る箇所があるのでした。

「戦中は敗戦については知らされないし、
 戦後も戦争にふれることは一切タブーだし、
 われわれはずいぶん後になるまで、
 戦争についての具体的な事実は知りませんでした。
 実地のことは、さっぱり分かりませんでした。」(p197~198)

「私は戦地から帰った人にあうと、その体験をきかせてもらいました。
根ほり葉ほりたずねました。ところが、意外に思いましたが、
自分の体験をはっきりと再現して話してくれる人は、じつに少いのでした。

たいていの人の話は抽象的で漠然としていました。
すこしつきつめてたずねると、事実はぼんやりとして、
輪郭がぼやけてしまうのでした。自分が生きていた世界の姿を
よく見てはこずに、霧の中を無我夢中で駆けぬけてきた、
というようなふうでした。

『自分の経験を他人につたえることは、
これほどまでにもむつかしいことなのか。
また他人の経験を具体的に知ることは、
これほどまでにもできないことなのか』

と思いました。たいていの場合に、
語られるのは直接の体験ではなくして、
むしろある社会的にできあがった感想でした。
・・・・

自分の判断は何となく自信がもてないが、
社会的に通用している観念の方がたよりになるのです。
つまり、個人と個人とは直接につながるのではなくして、
ジャーナリズムその他によって公(おおや)けの通念となったものが、
個人につたわるのでしょう。社会通念の方が先にあって、
それから個人の判断が生れるのです。

われわれの生活の中では、
個人同士の横のつながりは、
思うよりもはるかに希薄なもののようです。」(p202)

昭和28年に『ビルマの竪琴ができるまで』が書かれたと
最後にカッコしてあります。

『抽象的で漠然として』という言葉から
連想は、『具体的な地図』のことへとひろがります。

つぎは、昭和35年のこと。
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)に、
昭和35年の竹山氏の様子が出てきます。

「1960(昭和35)年の9月であった。
前田陽一・・のお宅での定例の面会日、先生から
『竹山先生がモスクワにはいったそうだ』と聞いたとき、
『えっ!』とその場に居合わせた数人は声をあげた。
 ・・・・・・・・・・・・・・
かねてソ連に批判的な人が私人でソ連入りしたとは驚きだった。」
(p374)

はい。このあとに竹山の紀行文『モスコーの地図』を
平川氏は紹介してゆきます。

「外遊客専用の33階建てのウクライナ・ホテルは
あまりに豪華で竹山は気が引けた。そのホテルの一階には
英語やドイツ語の達者なインテリ女性が大勢働いている。

ドイツのナーゲル社が出しているガイド・ブック付録の地図に
ホテルの位置を記入してもらおうとしたが、次々に
『わからない』『あちらに行っておききなさい』と埒があかない。
木で鼻をくくったような人たちで、黙って頭をふるだけである。

竹山は『ははあこれは面白い』と気がついて、
試験のつもりで一人一人とつぎつぎにたずねた。
十四五人にあたってみたが、彼女らは地図を眺めても見当がつかない。」
(p374~375)

うん。もうすこしつづけて引用してしまいます。

「全体主義国家だからといって首都の地図が売店になく、
ナーゲル社版の地図が簡単な略図だからとはいえ、
日本大使館の受付の老人以外は地図上のホテルの所在を
教えることができなかった。

というエピソードは、一部の人には竹山の反ソ宣伝のように
受取られ、いろいろ取り沙汰された。
小林秀雄がなにを思ったか新聞紙上に竹山の悪口を書いた。
社会主義経済論の分野で名をなした野々村一雄は『ソヴェト旅行記』で
『・・・・それを日本に帰ってから一流文芸雑誌に書くということは、
ずいぶんむだな、むだなだけでなく有害なやり方だと思う』
と竹山を非難した。

しかしこれがソ連の実情だと知らせることは大切なことである。
また地図を見慣れない人には見てもわからないものである。
それに地図を公開しないことはソ連以外でもありうることである。

現に私は戦況が次第に不利になりだした昭和19年、
中学の朝礼の時間に『陸地測量部の五万分の一の地図を
自宅に所有する者は必ず提出するように』という回収のお達しに接した。
・・・・・地図は軍事機密である。という発想は
戦中の日本だけでなく戦後のソ連にはまだあったのである。
ちなみにキューバ危機はその2年後の1962(昭和37)年秋に突発した。」
(p375)

このテーマは、かたちをかえながら連綿として、
昭和43年の「『声』欄について」へとつながってゆきます。
こちらは、竹山道雄著「主体としての近代」(講談社学術文庫)
のp195~198にあるので、読もうと思えば、誰にでも読めます。






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5 コメント

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Unknown (びこ)
2022-02-04 23:16:16
こんばんは

こよ記事、参考になりました。リンクさせていただいて構わないでしょうか?
返信する
こんばんは。 (和田浦海岸)
2022-02-04 23:21:50
こんばんは、びこさん。

びこさんが参考になるなら、
どうぞ。
返信する
Unknown (びこ)
2022-02-05 01:50:17
リンクさせていただきありがとうございました。
https://blog.goo.ne.jp/kinpatkibun/e/52e7b5722be94634cb6e515605d2806b
返信する
Unknown (匿 名)
2022-02-27 12:32:55
かみなり3ブログに転載されるなんて不憫。
嘘つきでプライドの高いブログ依存性の気持ち悪いブログ。
神の啓示を受けてブログを書いているなんて不気味。
そんな気持ち悪いブログに引用されるなんて気の毒。
返信する
悪口。 (和田浦海岸)
2022-02-27 13:03:11
匿名さん。コメントどうも。

そういえば、わたしは
他人のブログにコメントしてないなあ。
とあらためて、思い浮かびました。

いまね。私のブログは
『いじわるばあさん』を取り上げている
最中なので、匿名さんのコメントを
意地悪という視点で見ると、
意地悪な悪口の語彙にパターンがありそう。

不憫で、嘘つき。気持ち悪い×2。
不気味で、気の毒。

匿名さんの語彙。
はい。このコメント欄に残しますので、
豊富な悪口を、すっきりと吐き出してください。
私のコメント欄なら、どうぞ、ご自由に。

ちなみに、私はコメント欄に答えるだけでも、
あとで、消したくなる。そんな時があります。
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