和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

標準語は、「おもしろおすな」。

2019-06-12 | 本棚並べ
小長谷有紀編「梅棹忠夫のことば」(河出書房新社)。

この本は、10章にわかれていて、
各章のページをひらくと、

ページ右側、梅棹忠夫の短文。
ページ左側、小長谷有紀さんの解説。

単純でわかりやすく。
その8章は「京都のみかた」。
8章の副題は「特別の場所には特別の知恵がある」。
その8章から引用。


まず右ページの梅棹忠夫氏の言葉は

「『おもしろおすな』といういいかたも
地方のひとには注意を要するだろう。
これで京都のひとが興味をしめして
のりだしてくれるとおもってはならない。
ことがらとしておもしろいかもしれないが、
わたしは興味ありません、という意味なのだ。
それを『おもしろおすな』と表現する。」
(p168)

こういう、京都ことばに精通していれば、
標準語の素っ気なさにも、敏感に反応するのでしょうか。

それはそうと、
気になったのは、この箇所。
5章「家庭のすがた」の梅棹氏のことば。

「家庭内の雑誌や新聞の発行、
というようなこともおこなわれるようになるだろう。
小説をはじめとする文芸の運命も、そのあたりと
かかわりあっているとおもう。
文芸の究極形態は、読者を予想せず、
自分が自分にむけてかくということになるのでは
ないだろうか。セルフ・コミュニケーションである。」
(p106)

これに対して、左頁の小長谷さんの言葉は
「これって通信」と題して

「わが家では、自分の気に入ったニュースを
家族のメンバーにパソコンで配信する、という習慣がある。
・・・・・家族といえども迷惑しているが、いまのところ
着信拒否はしていない、という程度のものである。
こんなことも予言されていたのかと思うと、恐ろしい。
・・・・・
また、アクセスされないブログは、かぎりなく
自分のための、自分によるコミュニケーションになってしまう。
ツイッターはその反動的現象なのかもしれない。」
(p107)


表紙カバーの折り返しに書かれた
著者紹介文が印象的です。
短いので、ここは全文引用。

「梅棹忠夫
1920年、京都市生まれ。
1954年『アマチュア思想家宣言』で、
カメラのように思想を使いこなそうと提案する。
1957年『文明の生態史観序説』で、
文明の複線的な展開という考え方をしめす。
1959年『妻無用論』で
社会進出するよう女たちを鼓舞する。
1963年『情報産業論』で
ポスト近代のゆくえを提示する。
1969年『知的生産の技術』で、
市民のための情報生産活動を指南する。
1977年、初代館長として国立民族学博物館をひらく。
2010年、逝去。」




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