和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『 作文をどうするか 』

2023-01-30 | 本棚並べ
梅棹忠夫の研究室に勤めていた藤本ますみさんの本に、
こんな場面がありました。

「 原稿がなかなかすすまなくて困っているとき、
  先生(梅棹)は苦笑しながら、こんなことをもらされた。

 『 ぼくの文章は、やさしい言葉でかいてあるから、
   すらすら読めるし、わかりやすい。だから、   
   かくときもさらさらとかけると思っている人がいるらしい 』  」

      ( p240 藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」講談社 )


読売の古新聞をひろげていて、お目当ての箇所がありました。
それは磯田道史の『古今をちこち』という月一回の連載です。
ふ~ん。最近のは、挿絵も磯田氏ご自分が描いているようです。
うん。『下手うま』というのありますが、どう見ても下手絵(笑)。
うん。以前の挿絵は惹かれるものがあり、夢にも出てきたんです。

それはそうと、12月14日(水)の磯田氏の連載文は、こうはじまってます。

「磯田道史『日本史を暴く』(中公新書)がベストセラーになったという。」

この回の見出しは、『学問と社会をつなぐ工夫』でした。
うん。ここが肝心そうだという箇所を引用しておきます。

「 21世紀半ばの人文学は、新しい評価軸が必要だと思う。これまでの
  人文学系の学界の考え方には欠けている視点があり反省が必要だ。

  学者と言えば、真か偽か、新知見か既知か、先行研究を高めるか、
  という評価軸だけで考え、難解な用語で、専門家だけの学術雑誌
  に論文を書く仕事だとしてきた。
  
  一方で、わかりやすい。面白い。楽しい。つながる。
  こういった本来、人文知がもっていた豊かでおおらかな視点を欠いてきた。
  誰にもわかる。楽しめる。ユニバーサルな学問がこれからは必要である。

  難解な学問が不必要なわけでない。

  学問の成果の理解が難しければ、学問と一般社会
  をつなげ、コミュニケートする工夫が必要になる。

  実は、この仕事は難解な専門研究をやるよりも数段難しい場合も多い。

  この点を誤解している研究者はまだ多い。
  旧制高校卒業の世代の著述に比べ、近年、
  人文系の研究は明らかに拙い文章の論文が増えている。
  論文の査読をしていて強く感じる。

  誰にでもわかりやすく解説するには
  国語力や雄弁・博学が必要で、
  なかなか難しい。でも、やらねばならぬ局面だ。       」  


『でも、やらねばならぬ局面 』を、どのように理解すればよいのか?
というところで、ここにも大村はま先生に、登場していただくことに。

上記の磯田氏の文に『旧制高校卒業の世代』とありました。
ちなみに大村はまが、先生となったのはいつ頃だったのか?

大村はま著『新編 教えるということ』(ちくま学芸文庫)は、
講演をまとめた一冊なのですが、そこのはじまりにありました。

「 私は昭和3(1928)年にはじめて教師になりました。」( p11 )

どこで先生をはじめたかというと、
長野県の諏訪高女(今の二葉高校)です。その箇所を引用。

「 それから国語の先輩の先生は、私を助手にして万葉集の索引を作る
  仕事をなさっていました。先生は土屋文明先生のお手伝いをして
  いらっしゃたかたですが、私に・・むずかしい中国語の辞書をひかせます。
  ・・『・・こうやってひくんだよ』と教えてくださいました。
  『 なんだって今のうちに勉強しておかなきゃだめなんだ。
    手伝っているなんて思ったら大間違いだ。この本は、
    こういうふうに使う。これを調べるにはこれを使う 』
  と教えてくださいました。

  当時、珍しいほどの蔵書を持っておりました長野県の、
  今、二葉(ふたば)高校と申します諏訪高女の国語研究室において、
  私はたいへん鍛えられたのです。・・・・

  それから、また、言論自由の職員室の空気がありました。・・・
  一方、思いきってものの言える雰囲気ができていて、
  いちばん若い私が、いろいろなことを言えるような
  雰囲気になっておりました。              」( p18 )

はい。これが、戦後の大村はま先生へとつながってゆく箇所なので
もうちょっとおつきあい願います。

「 そのころ、熱心な先生のなかには、国語ですと、
 『源氏物語の研究』とか、『万葉の研究』とかいったような
  テーマをもって勉強なさるかたが、信州にはたくさんありました。

  私はそのことについて相当な反感をもっておりました。
  それはそれでよい、研究することは尊いことだと思います。

  けれども、私はもっと、『 作文をどうするか 』とか、
  そういった種類のことを教師は勉強すべきではないかと、
  生意気ながらも考えておりました。

  女子大に在学中から、先生になろうと決心して、
  教材の研究を試みていたのですから、
  当然そういうことになるわけです。

  ・・・・国語教育の権威芦田恵之助(あしだけいのすけ)先生に
  直接手をとって教えていただいた最後の人たちの中に、私もはいっております。
  ですからもう、教育の、そうした現場の研究をすべきであると、
  胸いっぱいに思っておりました。          」 ( p19 )


この講演「教えるということ」は、1970年8月におこなわれたものでした。

そうです、梅棹忠夫氏は、こう語っておりました。

『 ぼくの文章は、やさしい言葉でかいてあるから、
  すらすら読めるし、わかりやすい。だから、   
  かくときもさらさらとかけると思っている人がいるらしい  』

新聞連載の、磯田道史氏はというと、

「 誰にでもわかりやすく解説するには
  国語力や雄弁・博学が必要で、なかなか難しい。
  でも、やらねばならぬ局面だ。         」と指摘します。

どうやら、磯田氏の指摘を深堀するためには、
梅棹忠夫著『 知的生産の技術 』があって、
大村はまの『 作文はどうするか 』がある。
そう私なりの目星をつけているわけなんです。

はい。つい長くなりますが、最後にここも引用。

「 ある日、歴史の先生が

 『 勉強しているかい、テーマを言ってみろ 』

  と私におっしゃいました。
  そして、私が

 『  作文を今こういうふうにして、
    こういう記録をとって、
    こういうようにやっている  』

 と言いましたら、

 『 平家物語時代に口語が芽ばえてきて、
   だんだん狂言のことばになってくる。
   そういうふうな研究をして、
   口語の発生とその発達、ということを考える。

   このなまな国語、なまな口語、これが今からどのくらい経たら
   ほんとうの日本語になれるのか、考えてみるんだな。

   文語はすでにもう鍛えられたことばになったけれども、
   どうも口語はなまでいけない。
   口語では文章は書けないし、歌も作れない。
   そういう意味で口語の研究をしたらどうか   』

 と私におっしゃったのです。
 たいへん強くそれをおっしゃったのですが、
 それはそれとしておもしろいとは思いましたけれども、
 私は黙っていて、それをやるとは言わなかったのです。

 ところが、あくる日になってもまた、万葉集はどうかとか、
 芭蕉はどうかとか、いろいろおっしゃったものですから、

 とうとう私は、職員室のまん中で、20幾人かいる先生がたのまん中で、
 ――校長先生ももちろんおいでになっていました――

  『 作文の研究じゃいけないんですか! 』と、
 
 大声でどなってしまいました。・・・・
 そんなことをどなったというのが、今日まで教室につながる
 エネルギーだったんじゃないかと、今でもみなさんに言われます。
 そんなようなことで、私は、先生になった初めの10年間を過ごしました。」
                          ( p19~20 )


今年これから私が読もうとしている『大村はま国語教室』は
そこから始る大村はまの足跡なのだと心得。全集を開きます。

何って、ちっとも読み進めていないのだから困ったものです。
せめても、当ブログで『読むぞ、読むぞ』とスタートの号令。





コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新聞紙は財産だった。 | トップ | 豊かでおおらかな視点。 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大村はま先生と藤原ていさんと (阿智胡地亭辛好)
2023-01-30 15:57:45
小説家新田次郎の奥さんで「流れる星は生きている」を書いた藤原ていさんも諏訪高女で大村はま先生の教えを受けた一人です。
https://saburojii.blog.fc2.com/blog-entry-321.html
返信する
こんにちは。 (和田浦海岸)
2023-01-30 16:25:37
こんにちは。 阿智胡地亭辛好さん。
どうもコメントありがとうございます。

ブログを楽しみに拝見させていただいております。
さっそく「サブジロー」さんのブログ読みました。
簡潔で要領よくまとめられ、郷土愛まで感じられ、
参考になりました。ありがとうございました。
返信する
Unknown (1948219suisen)
2023-01-31 13:30:24
>口語では文章は書けないし、歌も作れない。

この言葉に共感します。口語はやはり話し言葉なので、例外を除いて殊に歌を作るのには向かないと思います。文章も、聖書などありがたい?文章には向かないと思います。あまりにも平易すぎて重みが足りないというか…。
返信する
切り口? (和田浦海岸)
2023-01-31 14:47:58
こんにちは。水仙さん。
コメントありがとうございます。

引用はしてみるものですね。
水仙さんは、この箇所を引用され、共感されている。

はい。今日1月31日は「梅棹忠夫語る」を
ひらいていたところでした。するとこんな箇所がある。

小山】 文章は、言葉の出し入れとか、
    そういうのじゃなくて、切り口でしょう。

    梅棹さんの文は外国人にはわかりやすいが、
    日本人にはあっさりしすぎているとか、
    短かすぎるとか思うようです。
    スパッとひとことで言う。
  
    ただ、あまり装飾が好きじゃない
    というような感じはする。
    科学的なんですよね。

梅棹】 そうやな。基本は、
    文章は美的な語りをやったら
    あかんということ。 
                (p49~50)


ここで、小山さんは『文章は切り口』と語っている。
うん。それなら、短歌はなんでしょう?
返信する
Unknown (1948219suisen)
2023-01-31 17:40:54
短歌は、小山さんが梅棹さんの文章を評して言われている

「梅棹さんの文は外国人にはわかりやすいが、
    日本人にはあっさりしすぎているとか、
    短かすぎるとか思うようです。
    スパッとひとことで言う。」

ではないでしょうか?

ただし同時に美的表現も求めます。韻律も短歌の重要なモチーフですから。

短くスパッと切り込んで同時に美的に表現するという代物だと思います。
返信する
こんばんは。 (和田浦海岸)
2023-02-01 20:57:40
こんばんは。水仙さん。
質問へのお答えコメントありがとうございます。

重大問題を、コメントで回答してもらおうなんて、
虫のいい疑問に答えていただきありがとうございます
返信する

コメントを投稿

本棚並べ」カテゴリの最新記事