数がまとまると、送料無料となる
古本屋さんへと、注文を出していたのが、
昨日届く。
うん。もっている本も、
もう一冊持っていてもいいかな。
そう思う本なら、送料無料の数合わせに
つい買ってしまいます(笑)。
今回の「もう一冊」は
河合隼雄著「おはなしおはなし」(朝日新聞社)でした。
新聞連載された随筆の、はじまりの一篇の最初を引用。
「『おはなしおはなし』はアフリカの中央部に住む
フルベの人たちの昔話のはじまりの言葉である。
随筆を遠藤周作さんから受けつぐことになり、荷が重いな
と思ったが、性来の『はなし好き』なので気楽に
『おはなし』するようなつもりでお引き受けすることになった。
心理療法家として、私は心の深層を知る上で、
夢を大切にしている。
鎌倉時代の名僧明恵は、生涯にわたって
自分の夢を記録したことで有名である。
彼の残した『夢記』を読んで、
彼の自己洞察の深さと、それを実生活に生かしてゆく
倫理性の高さに私は感動し、
彼を心の師と仰ぐほどになった。
・・・・」
はい。結局、送料無料のために12冊の古本を
まとめて購入し、それがミカン箱に入って
昨日届きました。3000円以上が送料無料の古本屋です。
ちょうど、その中に、
「明恵上人没後750年 高山寺展」(主催京都国立博物館ほか。1981)
がありました。
ぱらりとひらくとはじまりに
林屋辰三郎氏が、鳥獣人物戯画から書き起しております。
そのはじまりも引用。
「高山寺と云うと、鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)の全四巻が
まず想い起される。・・・そしてこの戯画が、
高山寺の所有となった経路は、
平安末期から鎌倉初期にかけて高野山西谷月上院の僧であった
賢観房玄証が図像の製作と集成に大いに活躍し、
その遺作が古く高野山から高山寺へ移されていた・・・」
うん。ここおもしろそうなので、もう少し引用。
「この戯画甲巻の主人公といえば、猿と蛙であり
その間に兎が介在して、絵巻を展開させている。
平安末期には、こうした動物に対して特別な関心が
よせられており、舞楽などのなかにも渾脱舞(こんだつまい)
と云って動物のぬいぐるみを被った舞があった。
相撲節会の余興に行われる舞楽などは。
『猿楽』という名の猿の渾脱舞と、
『桔カン(きつかん)』という蛙の渾脱舞が行われたもので、
そのときから猿と蛙とは番舞(つがいまい)にされていた。
そのことを考えると、鳥獣戯画はそのころの
猿楽絵(さるごうえ=滑稽画)のようなもので、
兎はさしあたり行司役にも当るのである。
平安末期は、まさに変革の時期で、社会秩序は大きく動揺し、
至るところで当世風の『今様』がよろこばれていた。
戯画の描いた風刺も、規則正しい図像の世界に対する
今様の視点からの発想にほかならなかったのであろう。」
つい、引用がながくなりました。
この次に
「高山寺の再興開山、明恵上人高弁(1172~1232)」
が語られております。
うん。ここだけを引用。
「明恵は、建久2年(1191)19歳から、入滅前年の
寛喜3年(1231)59歳頃まで、約40年間にわたって
自己の夢を記録して、『夢記(ゆめのき)』をのこしたことで、
きわめてめずらしい存在である。しかし一歩進めて考えると、
明恵の生涯は、全く無我夢中のうちに過ぎ去ったと
云えるかも知れない。・・・・」
うん。同時に購入した
法然上人誕生850年記念
「知恩院と法然上人絵伝」のはじまりも
林屋辰三郎氏が書いております。
それはそうと、今回購入した中で
一番高かったのは
「没後25年谷内六郎の軌跡」でした
こちらだけ1300円。
そういえば、谷内六郎に
「夜の公衆電話」と題した絵があります。
大きな枝ぶりの木の前に公衆電話があります。
下の方に男の子と女の子が傘をさしている上半身が
描かれています。夜なので、雨が降っているのかも
わかりません。公衆電話のなかが明るくって
その光が漏れて後ろの大木を下からボンヤリと
浮かび上がらせています。
公衆電話の中で受話器を耳にあてているのは白狐。
公衆電話の四角い窓にダイヤルと受話器と白狐が
明るく浮かび上がっておりました。
ひょっとして、この絵、谷内さん
の夢に、登場したのかもしれない。
それにしても、
舞楽に登場する、動物のぬいぐるみ。
といえば、連想は現代へと容易につながってゆきます。
そうそう、平成末期の、ご当地キャラの着ぐるみたち。
古本屋さんへと、注文を出していたのが、
昨日届く。
うん。もっている本も、
もう一冊持っていてもいいかな。
そう思う本なら、送料無料の数合わせに
つい買ってしまいます(笑)。
今回の「もう一冊」は
河合隼雄著「おはなしおはなし」(朝日新聞社)でした。
新聞連載された随筆の、はじまりの一篇の最初を引用。
「『おはなしおはなし』はアフリカの中央部に住む
フルベの人たちの昔話のはじまりの言葉である。
随筆を遠藤周作さんから受けつぐことになり、荷が重いな
と思ったが、性来の『はなし好き』なので気楽に
『おはなし』するようなつもりでお引き受けすることになった。
心理療法家として、私は心の深層を知る上で、
夢を大切にしている。
鎌倉時代の名僧明恵は、生涯にわたって
自分の夢を記録したことで有名である。
彼の残した『夢記』を読んで、
彼の自己洞察の深さと、それを実生活に生かしてゆく
倫理性の高さに私は感動し、
彼を心の師と仰ぐほどになった。
・・・・」
はい。結局、送料無料のために12冊の古本を
まとめて購入し、それがミカン箱に入って
昨日届きました。3000円以上が送料無料の古本屋です。
ちょうど、その中に、
「明恵上人没後750年 高山寺展」(主催京都国立博物館ほか。1981)
がありました。
ぱらりとひらくとはじまりに
林屋辰三郎氏が、鳥獣人物戯画から書き起しております。
そのはじまりも引用。
「高山寺と云うと、鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)の全四巻が
まず想い起される。・・・そしてこの戯画が、
高山寺の所有となった経路は、
平安末期から鎌倉初期にかけて高野山西谷月上院の僧であった
賢観房玄証が図像の製作と集成に大いに活躍し、
その遺作が古く高野山から高山寺へ移されていた・・・」
うん。ここおもしろそうなので、もう少し引用。
「この戯画甲巻の主人公といえば、猿と蛙であり
その間に兎が介在して、絵巻を展開させている。
平安末期には、こうした動物に対して特別な関心が
よせられており、舞楽などのなかにも渾脱舞(こんだつまい)
と云って動物のぬいぐるみを被った舞があった。
相撲節会の余興に行われる舞楽などは。
『猿楽』という名の猿の渾脱舞と、
『桔カン(きつかん)』という蛙の渾脱舞が行われたもので、
そのときから猿と蛙とは番舞(つがいまい)にされていた。
そのことを考えると、鳥獣戯画はそのころの
猿楽絵(さるごうえ=滑稽画)のようなもので、
兎はさしあたり行司役にも当るのである。
平安末期は、まさに変革の時期で、社会秩序は大きく動揺し、
至るところで当世風の『今様』がよろこばれていた。
戯画の描いた風刺も、規則正しい図像の世界に対する
今様の視点からの発想にほかならなかったのであろう。」
つい、引用がながくなりました。
この次に
「高山寺の再興開山、明恵上人高弁(1172~1232)」
が語られております。
うん。ここだけを引用。
「明恵は、建久2年(1191)19歳から、入滅前年の
寛喜3年(1231)59歳頃まで、約40年間にわたって
自己の夢を記録して、『夢記(ゆめのき)』をのこしたことで、
きわめてめずらしい存在である。しかし一歩進めて考えると、
明恵の生涯は、全く無我夢中のうちに過ぎ去ったと
云えるかも知れない。・・・・」
うん。同時に購入した
法然上人誕生850年記念
「知恩院と法然上人絵伝」のはじまりも
林屋辰三郎氏が書いております。
それはそうと、今回購入した中で
一番高かったのは
「没後25年谷内六郎の軌跡」でした
こちらだけ1300円。
そういえば、谷内六郎に
「夜の公衆電話」と題した絵があります。
大きな枝ぶりの木の前に公衆電話があります。
下の方に男の子と女の子が傘をさしている上半身が
描かれています。夜なので、雨が降っているのかも
わかりません。公衆電話のなかが明るくって
その光が漏れて後ろの大木を下からボンヤリと
浮かび上がらせています。
公衆電話の中で受話器を耳にあてているのは白狐。
公衆電話の四角い窓にダイヤルと受話器と白狐が
明るく浮かび上がっておりました。
ひょっとして、この絵、谷内さん
の夢に、登場したのかもしれない。
それにしても、
舞楽に登場する、動物のぬいぐるみ。
といえば、連想は現代へと容易につながってゆきます。
そうそう、平成末期の、ご当地キャラの着ぐるみたち。
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