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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ひょっとすると

2025-04-05 | 道しるべ
せっかく、谷川俊太郎をテーマにとりあげているので、
気になっている本を紹介。

世界文化社から出ていた、大岡信著「しのび草」(1996年)は
副題に「わが師わが友」とあります。ここに、谷川俊太郎について
書かれた文が載っています。

まずは、気になった箇所を引用。

「・・・彼(谷川俊太郎)の詩を読んでみれば明らかなように、
 谷川には日常生活そのものへの執着など、ほんとうはありえないのである。
 
 彼はいわば、日常生活に足をすくわれずに自らの精神の清澄を保つ
 ことを絶対的に必要とするがゆえに、日常生活をさしあたり
 可能な限り規則正しく、建設的に営んでいこうとしているのである。
 
 彼は逆説的建設型詩人であって、その内面には一個のウチュウジン
 が住んでいる、といってもいい。   」(p60)

このあとに、大岡氏との対談での谷川さんの言葉が引用されています。

『 実生活の上でも自分にかまけずにいられる状態、
  つまり自分が消滅したにひとしい状態がいいんだよ。

  自分というものがニュートラルであって、
  不幸でもなく幸せでもなく、自分について
  思い悩むことも誇るべきこともなくて、
  自分が消えてしまったような状態が、
  おれにとって至福につながっているところがある。・・  』

谷川はこのような自己認識を私(大岡)との再度の対話で
何度も繰り返し語った。・・・・             」(~p61)


このあとに、フェルメールを見る谷川俊太郎が語られております。
うん。長くなるのでカット。
そういえば、
ユリイカ「谷川俊太郎による谷川俊太郎の世界」11月臨時増刊(1973年)。
その雑誌の最後に『ギャラリイ』とあり、写真が並びます。その紹介。

   エトルスクの彫刻
   シェーカー教徒の室内
   コルトの拳銃
   スティーグリッツの写真「空の歌」
   ミューザーの紙飛行機
   良寛の書(道元)
   フェルメールの絵(デルフト風景)
   シトロエンの自動車・2CV(二玄社「世界の自動車8」より)
   サーバーの漫画


この雑誌は、昭和47年に発売されていて、その頃に私は
購入していたはずです。最後のこのギャラリーの写真が気になって、
この雑誌をとっておきました。それから30年ほどたってから、
道元やら良寛やらを好きになってゆきました。

大岡さんの『紙一重』の言葉も、この文の中に
対談の中の箇所として引用されております。
最後にそこを引用しておくことに。

谷川】  僕は夢を見たり幻想したりする必要がないくらい、
    日常のものを見ているだけで十分に不思議で満足なんだな。
    コップが不可知なものに見え、だからそれが美しく見え、
    正確にとらえたいと思う。・・・・
    日常の世界の、たとえば朝起きて顔を洗うということに興味があり、
    それでびっくりしちゃってるようなところがあるわけだよ。

大岡】 ひょとすると、現実との関係が
    ほんとうは紙一重で切断されているから、
    そういうことに興味が持てる。
    医者だったらそう言うかもしれないよ。(笑)

谷川】 おそろしいことを言うなあ。(笑)         (p61)  


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