和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

時代との、つきあい方。

2020-07-15 | 京都
向井敏著「本のなかの本」(毎日新聞社・1986年)に、
山崎正和著「室町記」が、とりあげられている。

その2頁の紹介文の最後はというと、
「その秘密をあとがきでそっと打ち明けて言う。」と
ことわって、引用しております。
ところで、「山崎正和著作集④変身の美学」に、「室町記」が
入っているのですが、こちらに「あとがき」は入っていない。
うん。それじゃというので、ネットの古本で講談社文庫を注文。
それが届く。「あとがき」の全文をこの機会に読む。
はじまりは、

「『室町記』は、昭和48年の1月から12月まで、『週刊朝日』誌の
グラヴィア頁に52回にわたって連載されたものである。」

とあります。あの頃の週刊朝日は、よかった時代です。
名編集長扇谷正造氏の遺産・威光が生きていた(笑)。

「・・・おりから昭和40年代後半の日本は、
一方では経済的な繁栄を謳いながら、他方では大学紛争に
象徴される世界的な混乱の余波を受けていた。そういう
刺激的な時代の様相が・・・・・・・私にとって、
室町期の芸人や学者や貧乏公卿の暮しを思いやることは、
現代に生きる自分の感情に柔らかな余裕をあたえてくれる経験であった。
彼らはひとりひとり個性的な姿勢で、私に、変り行く時代と
どのようにつきあえばよいかを教えてくれたからである。」

「室町期が普通の日本人に、
ひとつの統一あるイメージを、あたえないことは事実のようである。

おそらく、それは近世以後の日本人が、歴史についてあまりにも
単純な感受性を養って来て、完全な安定期か、それでなければ
完全な乱世しか理解できなくなっていたということであろう。

麻の如く乱れてしかも柔軟な平衡を保ち、
急速に変化しながら極度に伝統的な社会というものを、
私たちはようやく現代にいたって、
理解し得る手がかりを獲たということかもしれない。」

向井敏さんの書評ではで、あとがきから4行の引用でしたが、
ここは、もうすこし、あとがきから引用したくなる私がおります。
この箇所も引用しておかなきゃ(笑)。

「今日の日本の思想状況を眺めていると、最近、国家と社会のあり方
をめぐって、あらためて微妙な選択を迫られているような気がする。

倫理や文化的な価値観がますます多元化するなかで、
それを昏迷退廃と見るか、あるいは、自由な活力の向上と見るかで、
人びとは新しい分岐点に立たされてるようにみえる。

・・・・より稔り多いのは、
過去の具体的な時代を選ぶことによって考えることではなかろうか。
価値観の多元化といっても、それが現実に人間によって生きられた
ときにどんな姿を見せ、どんな幸福と不幸をもたらすかを
観察する方が、百の抽象論よりも有益であるように思われる。・・・・・
 ・・・・・・・
室町時代というモデルを選ぶことは・・・
今や、ひとつの立場の表明になろうとしている・・・
そういう機会を、講談社文庫によってあたえられたことを
喜ぶとともに、編集の労をとられた関山一郎氏に感謝したい。
        1985年新春           著者」


ここまでの引用で、気づいたことがありました。

向井敏さんの書評の最後に(’83・1・23)とあるのに、
講談社文庫に入ったのは、1985年とある。
そうすると、向井さんが引用した「あとがき」と、
文庫本「あとがき」とは、ひょっとすると違っているかもしれない。
そこが気になる。ということで、安い古本の単行本を注文する。
はい。本文は読まない癖してね(笑)。

ちなみに、この昭和60年の講談社文庫の解説は大岡信。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 南禅寺と疏水。 | トップ | 足軽の、ひる強盗。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

京都」カテゴリの最新記事