和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『ノウサギ日記』

2024-05-05 | 前書・後書。
キチンと本を最後まで読まない私なのですが、
これはもう直しようがないと思っております。

この前、古本で買った
高橋喜平著「ノウサギ日記」(福音館日曜日文庫・1983年)は
函入りで、表紙は子ウサギが後ろ足で立っている写真。
うん。いいね。本の最後には50ページほどの河合雅雄氏の解説。
この解説を読めただけで私は満腹。
また、そこだけでも再読してみたいのですが、
とりあえずは、解説からすこし引用しておきたくなりました。
二箇所引用。最初はこの箇所。

「動物好きの人は、世の中にはごまんといる。
 犬や猫をペットにして飼っている人は、何百万人におよぶだろう。
 しかし、高橋さんのような日記をものした人は、
 ほとんどいないにちがいない。

 なぜなら、高橋さんはたんなるペット好きなのでなくて、
 心からの自然愛好者――ナチュラリストだからである。

 この日記を見て感動を覚えるのは、
 ナチュラリストとしての高橋さんの人柄であり、
 動物に対する視点のたしかさ、
 すぐれた科学的な観察眼がもたらすものである。

 そこには、自然に対する温かい心と動物に対するやさしさとともに、
 動物の生態に対する鋭い目と洞察があり、独自の解釈が行なわれる。
 これこそナチュラリストの本領だといわねばならない。 」(p268~269)


さてっと最後に引用する箇所は、
この長い解説の終わりの箇所にあたります。
そこでは、今西錦司の「都井岬(といみさき)のウマ」に触れて
河合さんは読んだときの感想を記しております。

「この著作は、毎日のフィールドノートをそのままに写したようなものである。
 動物社会学の創始者である今西さんの最初の動物記であるから、
 期待に満ちた心躍らせてページをめくるうちに、しだいに
 速度が落ちてくる。そして、なにがなんだかよくわからなくなってくる。」
                          ( p308 )
このあとに、その今西氏の文を数行引用して説明しておりました。
そのあとでした。

「このごろの動物の行動に関する論文を読むにつれて、
 今西さんがこのとほうもない文体によってなにを主張し、
 なにを訴えようとしていたかが、ますます明瞭になてきたと思う。

 動物の行動や社会関係を表わすのに、最近は厳密で正確な数量的表現と、
 それにもとづく分析が要求される。2分ごとの行動をチェックし、
 それをまとめて個体の行動型を表記するといったことが、
 普通のレベルで行われている。

 このことはもちろん、非難されるべきことではない。
 しかし一方、科学的な精密さ、分析のメスの鋭さを競うあまり、
 いのちをもった動物の生きいきとした行動や生活のしかたが、
 どこかへ押しらやれてしまう、という状況が濃厚である。

 科学哲学者として著名なイギリスのホワイトヘッドが、
 最後の講演を行なったさい、『 精密なものはまやかしである 』
 とぼそっといって壇を降りたという話を、
 鶴見俊輔さんが書いておられたのを思い出す。
 彼は、分析のいきすぎが全体像を見失う危険を警告したのであろう。」
                   ( p309~310 )

そして、いよいよ解説の最後です。

「『都井岬のウマ』は、科学の進歩が、生物の実像を失わしめる
 危険があることに対する予言的警鐘として、重要な意味を
 もっていると、今にしてつくづく思うのである。

 『ノウサギ日記』は、『都井岬のウマ』と同列の作品であるといえる。
 その意味で、この旧(ふる)い日記が現在に登場する価値の重さに
 あらためて思いおよぶのである。 」(p310)


はい。私はこの解説をめくってもう満腹。
本文を読まずにスルーしちゃういつもの私がおります。
ひとまず、本棚に置いて、つぎこそは・・・。


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