あらためて、『安房震災誌』(大正15年3月発行)をひらく。
目次は第1編~第3編にわかれています。
第1編「地震と其の被害」で、被害状況が記され。
第2編「慰問と救護」。
第3編「復興計画と善行美談」となっておりました。
今日とりあげるのは第2編。そのはじまりを引用。
「前編に於ては、地震の惨害を事実の儘に叙述するがその目的であったが、
本編はその惨害を如何に処理救護したか。
即ち自然力に対する人間力の対抗的状態を詳記するが目的である。」(p219)
すこし端折ります。
「 一瞬前まで泰平な天地は、震動一過、忽ち修羅の巷
と化して了ったのである。
人心の恐怖と不安と失望とは当然の帰結である。
此際郡当局の最も苦心したのは、斯うした人心を平静に導くの方法であった。
此の上人心が一たび自暴自棄に陥ったならば、
その波及するところは予め、測定することが出来ないのである。
そこで郡長は、声を大にして
『 此際家屋の潰れたのは人並である。
死んだ人のことを思へ、重傷者の苦痛を思へ。
身体の無事であったのが此の上もない仕合せだ。
力を盡して不幸な人々に同情せよ。
死んだ人々に対して相済まないではないか。 』
といって、郡民を導き、且つ励ましたのである。
そして此の叫びは実際に於て、多大な功を奏した。
萬事此の態度で救護に当ったのである。 」(p220)
ちなみに、潰れた安房郡役所は、北條町にありました。
北條町の被害の状況はどうだったのかを、第1編から引用してみると
「総戸数は1616戸であるが、その倒潰数は実に100分の96に達している。
即ち全潰1502戸、半潰47戸である。・・・ 」(p106)
「 死亡者・・・222人。負傷者・・・268人。 」(p92)
そして、倒潰を免れた北條病院には、その負傷者と重傷者がつぎつぎと
担ぎ込まれくるのでした。その隣りに倒潰した安房郡役所がありました。
全潰した安房郡役所は、3日になって、
畜産組合のぼろぼろに破れた天幕をつかって仮事務所にしております。
「安房震災誌」の最初の方には、23枚の写真が載っているのですが、
そこに「郡役所及警察署ノ仮事務所(附)郡長告諭ノ要旨」と題する
一枚の写真があります。
それはテントの幕下の仮事務所と、諭告の文が写っております。
その諭告の本文はp225~226にありました。
最後に、その諭告から最初と最後の箇所とを引用しておきます。
安房郡民に諭く
今回の震災は未曾有の惨害にて・・・・・・
・・・・・・・・
一、 罹災者は此際勇鼓萬難を拝し自ら恢復に努むべし
一、 幸い被害を免れたるものは自己の無事なるを感謝し
萬斛の同情を以て被害者を援助すべし
斯の如くにして一日も速に惨害の恢復を計り
以て聖慮を安し奉らんことを切望に堪へず
大正12年9月 安房郡長 大橋高四郎 」
これは、9月11日に、山縣侍従の勅使来訪を期に、
郡民一般に対して諭告を発した文面でした。