和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

雑書雑本。

2008-08-02 | Weblog
岡崎武志・山本善行著「新・文學入門」(工作舎)の中に、京都の古本屋を語りながら、こんな箇所がありました。「昔の京大の先生たちは、またみんな本が好きやった。これは森毅さんなどにも受け継がれた気風で、京都の古本屋さんはそれで成り立っていたようなところがあるやろ。」と岡崎さん(何か、昔というのが意味深い)。それに山本さんが答えます「・・雑書を読むことが、それがどんな研究であっても大切やと思う。どんな大論文でも言葉、言語で書くのやからな。だから100円均一台が大好きな京大名誉教授は信頼できる。・・」(p280)

ここに、雑書という言葉が出てきており、
それじゃ、これから「雑書」連想。

板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書)に「雑学のすすめ」という箇所(p61)があります。
「雑学といえば、わたくしが卒論のために俳諧の資料を集めていた頃、天理図書館の一室で中村幸彦教授(当時は古義堂文庫主任)から突然『雑書をたくさん読みなさい』といわれたことがある。おそらく、そのころ自分のやっている主題を、文字通り重箱の隅を楊枝(ようじ)でつっつくようなことしかやっていなかったので、見かねてそう忠告されたものと思う。なにしろ、江戸時代の雑書ときたら、何百何千とあるので、その当時は「これは困ったことになった』と心の中で思ったものだ。卒業をしてからも、江戸時代の雑書をたくさん読んだとはお世辞にもいえないけれども、暇にまかせて自分の仕事に関係のない本を読むクセだけはついたつもりである。・・・・まったくの好奇心でのぞいた本に興味がわけば、その本に引用されている文献や、参考文献としてあげられている本を買う、そしてまたその本にある参考文献から別な本を、というふうにして連鎖的に拡張して行けばよい。飽きてきたら、そこで中止するし、飽きが来なければどんどん深入りする。そういうふうにして、あるものは生涯のつれ合いとなったものもいくつかはある。新聞雑誌の新刊案内や書評の類を読んでいて、きっかけをつかんだり、書店をひやかしていて拾い上げたり、要するに犬も歩けば棒に当たる式に読書するわけである。・・・」

もう一つ引用。
谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」(文芸春秋)のp441。
「膝栗毛」を取り上げて、中村幸彦氏のことが書かれておりました。

「中村幸彦は随分若い時から、近世文芸のどんな領域でも注釈できるように、解釈の根拠となる資料を蒐めた。それらは一般の学者が振り向きもせぬような世に知られていない雑本であった。だから自然に古書価も高くない。しかし肝心の問題は、それらがいったい何の役に立つかを見抜く眼力である。中村幸彦は古典研究の究極は生き届いた注釈にありと信じていた。それゆえ他人の持っていない一風変った書物を蒐めていなければ本当の学者とは言えないと訓した。古書店の持て扱いかねている本のなかから掘り出す俊敏がモノをいうのである。」

ちなみに、せっかく谷沢永一の名前が出てきたので、
谷沢永一著「執筆論」(東洋経済新報社)から「鬱の淵からの生還」という箇所を引用してみます(ちょっと、もう少しマシな引用をしたかったのですが、ここしかちょっと探し出せなかったのでした)。

「昭和40年の夏、ほとんど読み書きのできない窮状のなかで漸く思い至ったのは、専攻の分野における仕事を諦めて、堀だか壁だか私を囲っている限界線から外へ逃げ出す身の処し方である。・・それ以後の私は日本近代文学に関する文献を念頭から捨て去り、気の向くまま好みに惹かれて他の分野に属する書物を順序もなく読み漁った。理由の説明はつかないのだけれど、いったんそういう姿勢で臨んだら大抵の本が読めて頭に入ってくるようになる。さらにはあれも読みたいこれも入手したいと好奇心を唆されて古書を漁る楽しみが増えた。大阪ではすべての職業をひっくるめてショウバイと呼び、したがってある人が従事している仕事を特定する場合に、あいつは何屋さんやねん、と聞く。私はとうとう何屋さんにもなることができず、むかし地方のバス停につきものだった生活雑具の万屋(よろずや)みたいに正体不明の流れ者になった。もし学問専一の固い信念に生きる決意を持っていたら、後半生の不毛を嘆いてみずから人生の終幕を期するに至ったかもしれない。性格がチャランポランで大きな望みを抱く資格もないと自認していたから、私は生まれつきの怠け根性に従うと決めて漂流の日々を苦にせず悩まずに済んだ。」(p95~96)


ということで、雑書から思い浮かんだ、板坂元・中村幸彦・谷沢永一でした。


そういえば、「新・文學入門」のなかで、「出会えて感激した詩集20冊」というリストで岡崎武志は、3番目に飯島耕一の詩集「ゴヤのファースト・ネームは」(青土社)をあげておりました。その詩「ゴヤのファースト・ネームは」のはじまりは、こうでした。


  何にもつよい興味をもたないことは
  不幸なことだ
  ただ自らの内部を
  眼を閉じて のぞきこんでいる。

  何にも興味をもたなかったきみが
  ある日
  ゴヤのファースト・ネームが知りたくて
  隣の部屋まで駈けていた。


こうはじまっておりました。
「駈けていた」といえば、「新・文學入門」に全力疾走という言葉がありました。
最後は、その引用。

【岡崎】・・山田稔いわく、『天野忠は詩とエッセイを書くときの違いを訊ねられて、詩は全力疾走、エッセイはジョギングと答えたそうである』と。
【山本】分かる分かる。おれの場合は古本屋は全力疾走、新刊書店はジョギング。
【岡崎】よう分からん譬えやなあ(笑)。まあまあそういうこと。・・(p269)
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