加藤秀俊著「独学のすすめ」に
「情報時代の自己教育」という章があります。
そこから引用。
「『情報洪水』をけしからん、とか、困ったことだ、
とかいうのは、ゼイタクというものだ。ちょうど、
それは、物資がありあまって、ゆたかな生活をしている
状態を非難するのとおなじようなもので、みち足りている
から、あるいは、みち足りすぎているから、貧しい状態を
想像することができなくなってしまったことの結果なのである。
食べるものさえない不満な状態にくらべたら、ゆたかな時代
のほうがどれだけ人間にとってしあわせなことかわからない。
情報についても、まったくおなじことがいえる。
こんにちのように、あふれるばかりの情報にとりまかれている
というのは、たしかに困惑をひとに感じさせるけれども、
情報が欠乏している社会にくらべれば、情報のゆたかな社会の
ほうが、ずっといい。情報がゆたかすぎることを、
ブツブツいうのは、やめたほうがいい。」
「じっさい、社会学者のダンカンは、
現代社会における『批評』の役割は、
要するにおびただしい量の情報のなかから、
よいものとわるいものとをきっちりとえらび
出し、よいものを、一般の読者につたえること
にある、といっている。・・・・
批評能力こそ、情報選択の能力の基本なのである。」
さてっと、
今日9月12日の産経抄を引用したいと思ったら、
「独学のすすめ」のこの箇所が浮かんだのでした。
では、産経抄を引用していきます。
めんどうなので、ほとんど全文引用。
「朝日新聞の木村伊量(ただかず)社長(当時)が
緊急記者会見を開き、東京電力福島第1原発所長だった
吉田昌郎さんの聴取結果書『吉田調書』の記事と、
慰安婦問題をめぐる一連の誤報について謝罪したのは
昨年の9月11日のことだ。
政府がそれまで非公開としていた吉田調書を公開した
当日夜だった。
『(吉田調書の記事は)間違った記事と判断した』
『(慰安婦報道は)訂正が遅きに失した』。
こう頭を下げた木村氏はその2カ月後に引責辞任した。
ジャーナリズム史に残る事件であり、
朝日新聞にとっては痛恨事だったろう。
この2つの問題については、それぞれ朝日新聞の
第三者委員会が検証して報告書をまとめた。
その中で注目を集めたのは、慰安婦報道に対する
外交評論家の岡本行夫委員の個別意見だった。
岡本氏は朝日新聞独特の社論に沿って
『角度をつける』報道を批判したのだ。
個別意見では、国際大学長の北岡伸一委員も
朝日新聞の『自らの主張のために他者の言説を
歪曲ないし貶(おとし)める傾向』を指摘した。
・・・・
さて、その後の朝日新聞の報道姿勢に
こうした反省は生かされているだろうか。
・・・・
今も変わらず『角度』はヘアピンカーブ並みについている。」
このコラムでは、
「よいものとわるいものとをきっちりとえらびだし」
というのは、
朝日新聞の「よいもの」を選んでいるでしょうか、それとも
朝日新聞の「わるいもの」を選んでいるでしょうか。
私が思うに、ここからですね。
「情報選択の能力の基本」を間違えると、
「情報洪水」に溺れるばかり、
そこでつかまえる藁が、とんでもなかったりする
わかるでしょ(笑)。
「情報洪水」のなかで、
その情報自体を歪曲したり、
その情報自体を貶めたりする報道を、まずは
「わるいもの」として選び出せるかどうか。
うん、「わるいもの」報道には常習性があります。
可哀想なのは、常習性に惑わされる
朝日新聞の購読者の方々です。
眼前にひろがる、『情報洪水』の濁流。
「情報時代の自己教育」という章があります。
そこから引用。
「『情報洪水』をけしからん、とか、困ったことだ、
とかいうのは、ゼイタクというものだ。ちょうど、
それは、物資がありあまって、ゆたかな生活をしている
状態を非難するのとおなじようなもので、みち足りている
から、あるいは、みち足りすぎているから、貧しい状態を
想像することができなくなってしまったことの結果なのである。
食べるものさえない不満な状態にくらべたら、ゆたかな時代
のほうがどれだけ人間にとってしあわせなことかわからない。
情報についても、まったくおなじことがいえる。
こんにちのように、あふれるばかりの情報にとりまかれている
というのは、たしかに困惑をひとに感じさせるけれども、
情報が欠乏している社会にくらべれば、情報のゆたかな社会の
ほうが、ずっといい。情報がゆたかすぎることを、
ブツブツいうのは、やめたほうがいい。」
「じっさい、社会学者のダンカンは、
現代社会における『批評』の役割は、
要するにおびただしい量の情報のなかから、
よいものとわるいものとをきっちりとえらび
出し、よいものを、一般の読者につたえること
にある、といっている。・・・・
批評能力こそ、情報選択の能力の基本なのである。」
さてっと、
今日9月12日の産経抄を引用したいと思ったら、
「独学のすすめ」のこの箇所が浮かんだのでした。
では、産経抄を引用していきます。
めんどうなので、ほとんど全文引用。
「朝日新聞の木村伊量(ただかず)社長(当時)が
緊急記者会見を開き、東京電力福島第1原発所長だった
吉田昌郎さんの聴取結果書『吉田調書』の記事と、
慰安婦問題をめぐる一連の誤報について謝罪したのは
昨年の9月11日のことだ。
政府がそれまで非公開としていた吉田調書を公開した
当日夜だった。
『(吉田調書の記事は)間違った記事と判断した』
『(慰安婦報道は)訂正が遅きに失した』。
こう頭を下げた木村氏はその2カ月後に引責辞任した。
ジャーナリズム史に残る事件であり、
朝日新聞にとっては痛恨事だったろう。
この2つの問題については、それぞれ朝日新聞の
第三者委員会が検証して報告書をまとめた。
その中で注目を集めたのは、慰安婦報道に対する
外交評論家の岡本行夫委員の個別意見だった。
岡本氏は朝日新聞独特の社論に沿って
『角度をつける』報道を批判したのだ。
個別意見では、国際大学長の北岡伸一委員も
朝日新聞の『自らの主張のために他者の言説を
歪曲ないし貶(おとし)める傾向』を指摘した。
・・・・
さて、その後の朝日新聞の報道姿勢に
こうした反省は生かされているだろうか。
・・・・
今も変わらず『角度』はヘアピンカーブ並みについている。」
このコラムでは、
「よいものとわるいものとをきっちりとえらびだし」
というのは、
朝日新聞の「よいもの」を選んでいるでしょうか、それとも
朝日新聞の「わるいもの」を選んでいるでしょうか。
私が思うに、ここからですね。
「情報選択の能力の基本」を間違えると、
「情報洪水」に溺れるばかり、
そこでつかまえる藁が、とんでもなかったりする
わかるでしょ(笑)。
「情報洪水」のなかで、
その情報自体を歪曲したり、
その情報自体を貶めたりする報道を、まずは
「わるいもの」として選び出せるかどうか。
うん、「わるいもの」報道には常習性があります。
可哀想なのは、常習性に惑わされる
朝日新聞の購読者の方々です。
眼前にひろがる、『情報洪水』の濁流。