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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

まあ、題名のない「作文」だと思いなさい。

2015-09-08 | 道しるべ
三橋勝也氏は昭和20年生まれ。
2014年に「近代日本語と文語文」(勉誠出版)を
出されておりました。
そこに

「読んでみれば近代の文語文は、古典の文語文に比べて
はるかに明快で分かりやすい文章です。
論理が通っており、リズム感があります。・・
文語の教育は、書く方は昭和の戦前期に入ると
それほど積極的には行われていませんでした。
すでに口語文の時代だったからです。
しかし、読むことはまだかなり行われていました。
小学校では四年生の教科書から文語文が登場し、
中等学校以上に進学した人々は、国語教材として
多くの近世・近代の文語文に接する機会がありました。
戦後になって文語文は古典のみとなり、
現代文とのつながりを失ったのです。」(p38)


ところで、加藤秀俊氏は、昭和5年生まれ。
加藤氏の文章のなかに、ご自身の
中学時代の国語教科書のことを書いた
箇所があります。


「わたしの中学時代の国語教科書の冒頭にあったのは
橘南谿(たちばななんけい)の『東西遊記』。
それにつづいて『常山紀談』があった。
これは岡山藩の家老までつとめた湯浅常山が
しるした戦国時代以後の武将の故事逸話集。
山内一豊の馬の話、曽呂利新左衛門の頓智、
塚原卜伝の剣術、さらには鳥居強右衛門の忠節など、
おおむね講談本でもおなじみの物語はこの本から学んだ。
さらに『雲萍雑志』というのもあった。こっちは
柳沢淇園が書いた物語集で、教科書には
道徳的、教訓的な挿話が収録されていた。
現在の子どもたちには想像もつくまいが、
いまから半世紀ほどむかしの中学生は
こんな書物によって学習していたのである。
二十世紀はじめの中学生はそれほどに
十八世紀の日本の文章に親近感をもっていたのであった。
これらのテキストは当時の中学生の学力からすると、
そんなにむずかしいものではなかったし、
わたしなどはおおいに感心して愛読したのだが、
いったいこういう文章はなんと名づけたらいいのだろう、
という疑問にぶつかった。和歌、俳諧のような『詩』でもなく、
『坊っちゃん』のような『小説』でもない。
もちろん学術『論文』でもないし時事を論ずる『論説』でもない。
そうかといって新聞などの『記事』ともちがう。
べつにどうということもない文章。それでいて、おもしろい。
いったい、こういう文章はなんというのですか、
とかつての中学生は国語の先生に質問した。
そうかい、いいところに気がついたね。
こういうのは『随筆』というんだ、読んで字の如し、
筆のむくまま、まあ、題名のない『作文』だと思いなさい。」
(p473~474・「メディアの展開」より)
コメント
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