もし、「イソップ物語読本」というのが出来るのであれば、
平川祐弘氏の「イソップ物語・比較倫理の試み」は必読書。
この必読書は、現在、残念ながら、
平川祐弘著「東の橘西のオレンジ」(文藝春秋・1981年)を
ひらかなければ、読めません(笑)。
ところで、
宮崎駿著「本へのとびら」(岩波新書)の
はじまりは、「岩波少年文庫の五十冊」で、
「星の王子さま」から選ばれております。
けれども、あれっ、そういえば、
「イソップ物語」は選ばれていなかった。
それに、日本の本は、というと、
「日本霊異記」と
宮沢賢治著「注文の多い料理店」の2冊。
さてっと、
「東の橘西のオレンジ」のあとがきに
「フランスの初等教育が・・・ラ・フォンテーヌの寓話の暗誦で始まることは、私の三人の娘を現地の学校へ入れてすぐわかった。九歳の娘がまず暗誦を命ぜられたのは『狐と烏』であり『蝉と蟻』だったからである。」(p357)
とあります。
平川祐弘氏は「イソップ物語・比較倫理の試み」のなかで
「明治の初年、日本から欧米へ教育視察に出掛けた人は、英語圏でもイソップが小学校の教材に用いられていることにひとしく気がついた(それでいて文禄年間に天草のコレジョでイソップがすでに邦訳された、という事実には明治の末年にいたるまで気がつかなかった)。それで明治五年以来、日本ではさまざまなイソップの邦訳が出た。」(p307~308)
こんな箇所もあります。
「ここで個人的な思い出を述べさせていただくと、私は昭和25年、東大に教養学科が新設された時、そのフランス科へ進学した。主任の前田陽一先生は私たち日本人の学生をフランス人の子供と同じように訓練するというので、まずラ・フォンテーヌの『寓話』の暗誦を命ぜられた。ところが私たちはその時もう19歳で大学二年生になっており、ランボーだのマラルメだのと口走っていたので、ラ・フォンテーヌの寓話は馬鹿にしたというわけではないが、結局暗記しないでしまった。・・・その・・心性のためかどうか、日本のフランス文学研究者の中でラ・フォンテーヌを専門にする人はほとんどいない。西洋古典学研究者の中でイソップを専門にする人は一人もいない。イソップの寓話を綺麗事に書き変えてしまう日本人は、実はこの寓話を心から好いていないのかもしれない。」(p314~315)
うん。岩波少年文庫への言及もあります。
「子供の躾け方や育て方、教育思想や倫理思想は、各国、各時代に応じて変化する。すると子供向けの読み物として出版される『イソップ物語』も、その国その時代の考え方、感じ方に応じてたちまち書き換えられてゆく。先ほど読んだ『盗みをした子供と母』の話にしても、原作では、子供は『ちょっとお母さんのお耳に入れたいことがある』と言い、母親が近づくや・・・となっている。これは岩波の編訳者が意図的にこう書きあらためたのである。・・・あまりに残酷で教育的でない、という今日の日本の出版社に特有の教育的配慮が働いて、勝手に原文を書き換えたのである。」(p286)
さてっと、そういえば、私に思い浮かぶのは
平川祐弘著「平和の海と戦いの海」(講談社学術文庫)のブライス教授が登場する箇所でした。
「博士課程でヘンリ・ジェイムズを研究テーマに選んだ渡辺敏郎氏はブライス教授が、『ジェイムズについては自分はあまり知らないが良い機会だ、君と一緒に読むことにしよう』と言い、二人で教員食堂で、短編集から文芸評論集まで読んでいった時の思い出を次のように語っている。
質問のごとく自問のごとくWhat is the poetry of James? とかWhere is he? とかよく言われた。
ブライス氏にとって文学を研究することは作家の詩を知ることであり、自分を新しく知ることであり、さらに言えば自分自身の詩を書くことだった。研究者の主体的な位置が奈辺にあるのか不明な、そしてそのために不毛な論文(?)の多い日本の西洋文学研究の弱みをブライスさんは承知していたのでだろう。・・・・・『ここにジェイムズがいて、ここらあたりにブライスがいるとすると、君はどのあたりにいると思うか』といった類の質問が飛び出してくる。私の困った顔を見てニヤリとなさるが、またすぐ顔をひきしめ、『いま答えなくともよい。しかし必ず自分で答を出さなくてはいけない。それを伴わない文学研究はあり得ないのだ』と言われるのだった。」(p197~198)
うん。平川祐弘氏の「イソップ物語・比較倫理の試み」は
魅力の箇所がゴロゴロしているのですが、ここでは最後に、ここを引用。
「新学年が春に始る日本と違って、フランスの新学年は秋に始る。フランスの小学一年生はちょうど北風が吹き出すころ『蝉と蟻』の寓話の暗誦を命ぜられるのであろう。・・・・実は今日でも渡仏する日本人は、お役人でも留学生でも女の子でも、フランス人が意外に締り屋(エコノム)であることに一様に驚くらしい。そのことは学者でも商社員でも皆そう感ずるようである。それで私はフランス人の友達をからかって、小学校にあがるやいなや『蝉と蟻』の寓話を暗誦させられるものだから、それでフランス人は皆締り屋になったのだ、とよく冗談を言ったが・・・・『蝉と蟻』に代表される『来るべき冬に備えよ』という訓えは、『冬の文化』であるフランスや英米の小学校国語・修身教育では大切な項目となる。」(p317~319)
平川祐弘氏の「イソップ物語・比較倫理の試み」は必読書。
この必読書は、現在、残念ながら、
平川祐弘著「東の橘西のオレンジ」(文藝春秋・1981年)を
ひらかなければ、読めません(笑)。
ところで、
宮崎駿著「本へのとびら」(岩波新書)の
はじまりは、「岩波少年文庫の五十冊」で、
「星の王子さま」から選ばれております。
けれども、あれっ、そういえば、
「イソップ物語」は選ばれていなかった。
それに、日本の本は、というと、
「日本霊異記」と
宮沢賢治著「注文の多い料理店」の2冊。
さてっと、
「東の橘西のオレンジ」のあとがきに
「フランスの初等教育が・・・ラ・フォンテーヌの寓話の暗誦で始まることは、私の三人の娘を現地の学校へ入れてすぐわかった。九歳の娘がまず暗誦を命ぜられたのは『狐と烏』であり『蝉と蟻』だったからである。」(p357)
とあります。
平川祐弘氏は「イソップ物語・比較倫理の試み」のなかで
「明治の初年、日本から欧米へ教育視察に出掛けた人は、英語圏でもイソップが小学校の教材に用いられていることにひとしく気がついた(それでいて文禄年間に天草のコレジョでイソップがすでに邦訳された、という事実には明治の末年にいたるまで気がつかなかった)。それで明治五年以来、日本ではさまざまなイソップの邦訳が出た。」(p307~308)
こんな箇所もあります。
「ここで個人的な思い出を述べさせていただくと、私は昭和25年、東大に教養学科が新設された時、そのフランス科へ進学した。主任の前田陽一先生は私たち日本人の学生をフランス人の子供と同じように訓練するというので、まずラ・フォンテーヌの『寓話』の暗誦を命ぜられた。ところが私たちはその時もう19歳で大学二年生になっており、ランボーだのマラルメだのと口走っていたので、ラ・フォンテーヌの寓話は馬鹿にしたというわけではないが、結局暗記しないでしまった。・・・その・・心性のためかどうか、日本のフランス文学研究者の中でラ・フォンテーヌを専門にする人はほとんどいない。西洋古典学研究者の中でイソップを専門にする人は一人もいない。イソップの寓話を綺麗事に書き変えてしまう日本人は、実はこの寓話を心から好いていないのかもしれない。」(p314~315)
うん。岩波少年文庫への言及もあります。
「子供の躾け方や育て方、教育思想や倫理思想は、各国、各時代に応じて変化する。すると子供向けの読み物として出版される『イソップ物語』も、その国その時代の考え方、感じ方に応じてたちまち書き換えられてゆく。先ほど読んだ『盗みをした子供と母』の話にしても、原作では、子供は『ちょっとお母さんのお耳に入れたいことがある』と言い、母親が近づくや・・・となっている。これは岩波の編訳者が意図的にこう書きあらためたのである。・・・あまりに残酷で教育的でない、という今日の日本の出版社に特有の教育的配慮が働いて、勝手に原文を書き換えたのである。」(p286)
さてっと、そういえば、私に思い浮かぶのは
平川祐弘著「平和の海と戦いの海」(講談社学術文庫)のブライス教授が登場する箇所でした。
「博士課程でヘンリ・ジェイムズを研究テーマに選んだ渡辺敏郎氏はブライス教授が、『ジェイムズについては自分はあまり知らないが良い機会だ、君と一緒に読むことにしよう』と言い、二人で教員食堂で、短編集から文芸評論集まで読んでいった時の思い出を次のように語っている。
質問のごとく自問のごとくWhat is the poetry of James? とかWhere is he? とかよく言われた。
ブライス氏にとって文学を研究することは作家の詩を知ることであり、自分を新しく知ることであり、さらに言えば自分自身の詩を書くことだった。研究者の主体的な位置が奈辺にあるのか不明な、そしてそのために不毛な論文(?)の多い日本の西洋文学研究の弱みをブライスさんは承知していたのでだろう。・・・・・『ここにジェイムズがいて、ここらあたりにブライスがいるとすると、君はどのあたりにいると思うか』といった類の質問が飛び出してくる。私の困った顔を見てニヤリとなさるが、またすぐ顔をひきしめ、『いま答えなくともよい。しかし必ず自分で答を出さなくてはいけない。それを伴わない文学研究はあり得ないのだ』と言われるのだった。」(p197~198)
うん。平川祐弘氏の「イソップ物語・比較倫理の試み」は
魅力の箇所がゴロゴロしているのですが、ここでは最後に、ここを引用。
「新学年が春に始る日本と違って、フランスの新学年は秋に始る。フランスの小学一年生はちょうど北風が吹き出すころ『蝉と蟻』の寓話の暗誦を命ぜられるのであろう。・・・・実は今日でも渡仏する日本人は、お役人でも留学生でも女の子でも、フランス人が意外に締り屋(エコノム)であることに一様に驚くらしい。そのことは学者でも商社員でも皆そう感ずるようである。それで私はフランス人の友達をからかって、小学校にあがるやいなや『蝉と蟻』の寓話を暗誦させられるものだから、それでフランス人は皆締り屋になったのだ、とよく冗談を言ったが・・・・『蝉と蟻』に代表される『来るべき冬に備えよ』という訓えは、『冬の文化』であるフランスや英米の小学校国語・修身教育では大切な項目となる。」(p317~319)