谷沢永一著「紙つぶて」に
一箇所だけ登場する竹山道雄。
その箇所の最後に谷沢氏が指摘する言葉は、
「・・人柄と文学とを混同する愚を犯してはいない。才能ある人物のやむを得ない人間的欠点を、鋭く、しかし暖かく、距離をおいて見るのが、本当の人間通ではないか。」(1971年)
「紙つぶて」に竹山道雄をとりあげて、さりげなく「人間通」という言葉が登場していたのでした。
うん。気になるので、新潮選書の谷沢永一著「人間通」をひらく。
ここには、最後に「人間通になるための百冊」という、一冊につき三行ほどの解説付きで百冊のリストが載っている。めでたさ。
けれども、百冊中に竹山道雄は登場せず。
ははあ~ん。現代という、
この時代に、竹山道雄は百冊に登場しなかったのだ。
と、後世語り伝えられるかもしれないなあ(笑)。
ちなみに、ついでに、読んでみた
谷沢永一著「人間通になる読書術・実践編」(PHP新書)の
第Ⅱ部「読書の技術」が面白い。
「世間でどれほどもてはやされていようと、人がどんなに褒めようと、それに判断を委ねていたら、読書の楽しみは味わえません。世間の評判よりも、自分で読んで面白いか、どんな栄養分が摂取できるか、ということで、私たちは本を選ぶべきなのです。」(p203)
うん。こんな箇所もありました。
「他人から『この本を読みなさい』と与えられた本はたいてい面白くないし、他の人が面白いといった本を自分も面白いと感じるかどうかはわかりません。したがって、人から本を与えられていると、面白くない本にあたる確率は大きいはずです。そして、面白くない本ばかり読んでいると、当然ながら読書が嫌になります。
その反対に、自分で読みたい本を探し、選んでいれば、面白い本に出会う可能性は高くなる。そして、何度も何度も真剣に面白そうな本を選ぶことで、本に対する眼力が鍛えられていく。その結果、もっと本が読みたくなる。」(p201)
ちなみに、「本に対する眼力が鍛えられていく」のは
この夏、私は竹山道雄なんだ(笑)。
一箇所だけ登場する竹山道雄。
その箇所の最後に谷沢氏が指摘する言葉は、
「・・人柄と文学とを混同する愚を犯してはいない。才能ある人物のやむを得ない人間的欠点を、鋭く、しかし暖かく、距離をおいて見るのが、本当の人間通ではないか。」(1971年)
「紙つぶて」に竹山道雄をとりあげて、さりげなく「人間通」という言葉が登場していたのでした。
うん。気になるので、新潮選書の谷沢永一著「人間通」をひらく。
ここには、最後に「人間通になるための百冊」という、一冊につき三行ほどの解説付きで百冊のリストが載っている。めでたさ。
けれども、百冊中に竹山道雄は登場せず。
ははあ~ん。現代という、
この時代に、竹山道雄は百冊に登場しなかったのだ。
と、後世語り伝えられるかもしれないなあ(笑)。
ちなみに、ついでに、読んでみた
谷沢永一著「人間通になる読書術・実践編」(PHP新書)の
第Ⅱ部「読書の技術」が面白い。
「世間でどれほどもてはやされていようと、人がどんなに褒めようと、それに判断を委ねていたら、読書の楽しみは味わえません。世間の評判よりも、自分で読んで面白いか、どんな栄養分が摂取できるか、ということで、私たちは本を選ぶべきなのです。」(p203)
うん。こんな箇所もありました。
「他人から『この本を読みなさい』と与えられた本はたいてい面白くないし、他の人が面白いといった本を自分も面白いと感じるかどうかはわかりません。したがって、人から本を与えられていると、面白くない本にあたる確率は大きいはずです。そして、面白くない本ばかり読んでいると、当然ながら読書が嫌になります。
その反対に、自分で読みたい本を探し、選んでいれば、面白い本に出会う可能性は高くなる。そして、何度も何度も真剣に面白そうな本を選ぶことで、本に対する眼力が鍛えられていく。その結果、もっと本が読みたくなる。」(p201)
ちなみに、「本に対する眼力が鍛えられていく」のは
この夏、私は竹山道雄なんだ(笑)。