和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

これも信じられない話ですが。

2012-06-09 | 短文紹介
ドナルド・キーン著「戦場のエロイカ・シンフォニー 私が体験した日米戦」(藤原書店)。この本は、小池政行さんが質問しながら、それに答えてゆく一冊。
最後に「本書の対談は2010年11月9日、17日28日の3回に亘り・・・」とあります。うん。東日本大震災以前になされたものです。初版は2011年8月30日となっております。

2010年11月17日に収録された対談の最後には、こうありました。

キーン】 ・・私はもう日本に永住する気でいます。
小池】  これは初めて聞きました。
キーン】 この数年、考えていました。そして、コロンビア大学の授業は2011年を最後に、その後は日本に完全に移り、ここで骨を埋めたいと思っています。
小池】 これは、日本の新聞にもマスコミにも出ていない、とても大きなことですね。


さてっと、
私が気になった箇所をすこし並べます。

小池】 そういうお話をうかがいますと、先生、私たち日本人というのは、権威ないしは権力のあるところからの言葉をそのまま信じる傾向が強いということ。また欧米の風俗、習慣もマスメディアの流す事柄を割と簡単に信じるということが思われます。(p33)

本の最後の方には、こうありました。

キーン】 ・・・また、これも信じられない話ですが、戦争末期には、日本政府や軍関係者はソ連が仲介に乗り出してくれるのではと期待を抱く向きも出て来るのですね。それまでは全く悪の国と非難していたソ連に対し、まことに唐突な調子で、実は公平な国であると好意的な報道が現れるようになります。しかし、政府は具体的には何もせず、無策のままでした。冷静に考えれば、ソ連が日本の国益になる政策を実行することがないのは自明の筈ですが。
小池】 その通りです。モスクワにいる当時の佐藤尚武大使にも、終戦の仲介をソ連にやってもらえというい訓令が来て、それに基づいて一応ソ連のミコヤンらの上層部にも会うのです。それでも結局、佐藤大使は無駄だともうわかっていた。だから、ソ連を介しての終戦はあり得ないという電報を何本も外務省に打っているのですけれども、これも無視されました。・・・スイスでもストックホルムでも終戦工作をやった武官はいるわけですね。しかし、電報を陸軍省、参謀本部に打っても全く黙殺されました。(p156~158)

このことを、東日本大震災の場合に、思い浮かべるのは
菅直人首相の際の対処でした。

「国会事故調が着目するのは、政府の原子力緊急事態宣言の遅れだ。
東電が1、2号機の注水機能喪失を伝える、原子力災害対策特別措置法(原災法)15条に基づく通報を行ったのは3月11日午後4時45分。同法は、15条通報があった場合、首相は『直ちに』緊急事態を宣言し、原子力災害対策本部を設置することを定めている。だが、実際の宣言は午後7時3分と2時間以上遅れた。
政府事故調では菅氏が午後6時12分から開催された与野党党首会談に出席するため『上申手続きは一時中断した』としている。・・・」(産経新聞2012年5月29日社会面)

首相として「災害緊急事態布告」を、なによりも優先できなかった。
さらには、「安全保障会議開催」という、当然なすべき対応をとらなかったことを、思う時に、「電報を陸軍省、参謀本部に打っても全く黙殺されました。」という大本営の場面が、再現されていると、あらたに思わされるのでした。

さて、
これは読まなきゃと思う本が紹介されておりました。
この箇所です。

キーン】 私の本『昨日の戦地から  米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア』はまったく売れなかったそうですが・・・。
小池】  僕は、それが悔しいのですよ。この本は非常に面白い。この本についての、梯久美子さんが書かれた『サンデー毎日』の書評は良い視点でした。まさにキーン先生と同じように日本をよく知っている、そのときの若い日本語将校たちの目線、視線を今の日本人が持っていることに、この本を読んだ人は驚くだろう――と書いてあるのです。僕はこの本をこの三日間もう一度ずっと読み通したのですけれども、非常に示唆に富んでいます。残念なのは、先生はもらった手紙をよく残しておられるのに、先生の手紙を残していない仲間が多いのですよ。だから先生の手紙がこの本にはあまりないのです。・・・(p186~187)


『昨日の戦地から』を、私は未読。
うん。
読むことにします。
コメント
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