藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)にある一行。
「私のとっておきのBGMはグレン・グールド演奏の『ゴールドベルク変奏曲』です。」(p111)に感化されて、このところ、ブログを書くときのBGMにしております(笑)。
さてっと、雑誌「新潮45」7月号。
そこに中野雄氏の追悼「丸山眞男が語った『吉田秀和』」(p94~97)という文がありました。そこに「誰よりも早くグレン・グールドの弾くバッハを『天才』と賞讃・・」と副題にあるじゃありませんか。もうちょっと詳しく引用。
「吉田秀和はあるとき、『・・・私が好むのは、価値の発見である。新しい才能の発掘である』という言葉を記している。第一の例証として、カナダのピアニスト、グレン・グールドを取り上げ、それまでわが国の音楽界、レコード業界で奇矯児扱いされるか、黙殺さえされていたこの人のバッハ【ゴールドベルク変奏曲】のLP盤を空前の大ヒット商品、戦後のクラシック・レコードの中の記念碑的存在にまで高めてしまったことが挙げられるだろう。きっかけは知人が、『何だか、やたらに速いばかりで・・』と言って貸してくれた一枚のレコードだったらしいが、音楽の新しい流れに関する直感力でその革命的性格を捉え、直ちに文章化して、不特定の多数の読者をレコード店に走らせてしまった事実は、いまなお業界の『伝説』として語り継がれている。
吉田はこの成功に力を得たのであろうか、のちに、『これだけの演奏をきいて、冷淡でいられるというのは、私にいわせれば、とうてい考えられないことである。私は日本のレコード批評の大勢がどうであるかとは別に、このことに関しては、自分ひとりでも、正しいと考えることを遠慮なく発表しようと決心した』と書いている。『奇人』としか評価されていなかったウィーンの天才ピアニスト、フリードリヒ・グルダがそれに続く。・・・」
私はこの吉田秀和追悼文で、はじめてグレン・グールドとのつながりを知ったのでした。追悼文は読むものですね。
せっかくですから、三題噺じゃないですが、
もう一人引用しておきたくなります。
「編集者 齋藤十一」(冬花社)のなかに
齋藤美和氏の談話が掲載されております。
そこに、こんな箇所があります。
「そういえば小林秀雄さんが生前、何度も、『君んとこのデッカ、聴かせてくれよぉ。近くに住んでいるんだからさぁ』と言っておられました。でも結局齋藤は一度も聴かせてさしあげなかった。『小林さんと話していてね、文学の難しい話になると、こっちから音楽の話に切り換えちゃうんだ。そうすると僕の方が絶対強いからね』ことレコードに関しては、小林さんの方が齋藤に教えを乞うていらしたようです。・・・小林さんは酒席などで齋藤に向って『君が先に死んだら書かせてもらうよ。君と音楽のことなどをね』とおっしゃっていました。」
この先に、こうあるのでした。
「なぜグールドが好きなのか。言を尽して演奏を批評することを好まなかった齋藤ですが、グールドについてはこんなことを言っていました。『バッハでもモーツァルトでも、グールドの演奏はいつもぼくをギョッとさせる。どんな曲でも、それはグールドの音楽になってしまう。だからすごいんだよ』
齋藤は雑誌の企画にしても『真似をする』ことを極端に嫌いました。グールドの演奏は数多の先達の名演奏を乗り越え、独自の世界を作っています。それがあるいは齋藤の、『編集者としての矜持』を刺激したのかもしれない。そんなことを今、思っています。」
うん。これで当分、BGMがかわることはありませんね(笑)。
「私のとっておきのBGMはグレン・グールド演奏の『ゴールドベルク変奏曲』です。」(p111)に感化されて、このところ、ブログを書くときのBGMにしております(笑)。
さてっと、雑誌「新潮45」7月号。
そこに中野雄氏の追悼「丸山眞男が語った『吉田秀和』」(p94~97)という文がありました。そこに「誰よりも早くグレン・グールドの弾くバッハを『天才』と賞讃・・」と副題にあるじゃありませんか。もうちょっと詳しく引用。
「吉田秀和はあるとき、『・・・私が好むのは、価値の発見である。新しい才能の発掘である』という言葉を記している。第一の例証として、カナダのピアニスト、グレン・グールドを取り上げ、それまでわが国の音楽界、レコード業界で奇矯児扱いされるか、黙殺さえされていたこの人のバッハ【ゴールドベルク変奏曲】のLP盤を空前の大ヒット商品、戦後のクラシック・レコードの中の記念碑的存在にまで高めてしまったことが挙げられるだろう。きっかけは知人が、『何だか、やたらに速いばかりで・・』と言って貸してくれた一枚のレコードだったらしいが、音楽の新しい流れに関する直感力でその革命的性格を捉え、直ちに文章化して、不特定の多数の読者をレコード店に走らせてしまった事実は、いまなお業界の『伝説』として語り継がれている。
吉田はこの成功に力を得たのであろうか、のちに、『これだけの演奏をきいて、冷淡でいられるというのは、私にいわせれば、とうてい考えられないことである。私は日本のレコード批評の大勢がどうであるかとは別に、このことに関しては、自分ひとりでも、正しいと考えることを遠慮なく発表しようと決心した』と書いている。『奇人』としか評価されていなかったウィーンの天才ピアニスト、フリードリヒ・グルダがそれに続く。・・・」
私はこの吉田秀和追悼文で、はじめてグレン・グールドとのつながりを知ったのでした。追悼文は読むものですね。
せっかくですから、三題噺じゃないですが、
もう一人引用しておきたくなります。
「編集者 齋藤十一」(冬花社)のなかに
齋藤美和氏の談話が掲載されております。
そこに、こんな箇所があります。
「そういえば小林秀雄さんが生前、何度も、『君んとこのデッカ、聴かせてくれよぉ。近くに住んでいるんだからさぁ』と言っておられました。でも結局齋藤は一度も聴かせてさしあげなかった。『小林さんと話していてね、文学の難しい話になると、こっちから音楽の話に切り換えちゃうんだ。そうすると僕の方が絶対強いからね』ことレコードに関しては、小林さんの方が齋藤に教えを乞うていらしたようです。・・・小林さんは酒席などで齋藤に向って『君が先に死んだら書かせてもらうよ。君と音楽のことなどをね』とおっしゃっていました。」
この先に、こうあるのでした。
「なぜグールドが好きなのか。言を尽して演奏を批評することを好まなかった齋藤ですが、グールドについてはこんなことを言っていました。『バッハでもモーツァルトでも、グールドの演奏はいつもぼくをギョッとさせる。どんな曲でも、それはグールドの音楽になってしまう。だからすごいんだよ』
齋藤は雑誌の企画にしても『真似をする』ことを極端に嫌いました。グールドの演奏は数多の先達の名演奏を乗り越え、独自の世界を作っています。それがあるいは齋藤の、『編集者としての矜持』を刺激したのかもしれない。そんなことを今、思っています。」
うん。これで当分、BGMがかわることはありませんね(笑)。