和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

いい手紙をもらった。

2012-06-13 | 手紙
藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)の気になった箇所。

「特定の人を想定することが大事なのは、小説やエッセイも同じです。おおまかな読者層をイメージしている書き手は多いかもしれませんが、『層』に顔はありません。具体的な顔を思い浮かべて、この人はこれでおもしろがってくれるだろうか、涙してくれるだろうかと考えながら書くほうが、文章にも緊張感が出ます。
プロの書き手は、その点で恵まれているのかもしれません。読者の前にまずは編集者というプロの読み手がいるので、原稿用紙に向かえば否応なしにその顔が思い浮かびます。まず編集者を納得させることができるかどうかが第一関門になるわけです。・・・」(p30)

編集者といえば、
曽野綾子著「人間の基本」(新潮新書)の第一章は、こうはじまっていました。

「私が作家として駆け出しの頃、よく家に来ていた年配の編集者がいました。」

この新書には、もう一箇所、編集者に近い方の登場している箇所があります。

「産経新聞の私の担当者だった記者が少し前に亡くなりましたが、息子さんの話によると、お父さんは若い頃しょっちゅう同僚の新聞記者を連れてきて、お酒を飲みながら遅くまで色々な話をしていたそうです。狭い部屋での雑魚寝はいつものこと・・・大の読書家の父親がさまざまな話をしているのを横で聴いている時間はとりわけ楽しかったといいます。」(p144)


ここに、登場する担当記者が、気になっておりました。
そして、曽野綾子著「自分の財産」(産経新聞社)をひらいていたら、その担当記者のことが詳しく語られておりました。

ということで、せっかく読めたので、少し長く引用させてもらいます。


「産経新聞社の読者に、たまには新聞社の内幕を聞かせたい。記者たちはいつも自分が書くばかりで、書かれる立場にないのはおかしいのだから。・・・・
彼らはまず第一に知的であった。よく勉強していたが、自分の知性の表現に対して穏やかでユーモラスで謙虚だった。ということは、自分の考えと違う人を高圧的に裁く闘争的な姿勢など、全く示さなかった。自分が人道的であることを売り物にするような幼稚な点も全くなかった。
彼らは、独特の表現と生き方で、私たち書き手を魅了した。連載中に、彼らの一人に担当記者として世話になった作家たちは、皆彼らの性格をとことん好きになった。一人の男性作家などは『オレはお前が産経にいる限りこの連載を止めないからな』と言ったという笑い話が残っている。
しかし彼らは、世間的に常識的な生涯を送るという点では、性格的にも運命的にも失格者であったようだ。新聞社で大変出世したという話は聞かない。しかし産経新聞社が独自の路線を保てたのは、彼らのような強烈な個性を持っている記者がいたからだろう。
美点ばかり書くと嘘くさい。そのうちの二人は私の知るところ、深酒深たばこである。最近そのうちの一人が亡くなって、私はもう中年のご子息からいい手紙をもらった。
それによると、亡くなった父上は大の読書家であった。新聞社の社宅だったあまり広くもない2DKの家は、図書館のように本であふれていた。私が奥さんなら、文句を言いそうな光景だ。しかし子供から見た父は、いつでも質問に答えてくれる博識な父だった。・・・・新聞の強靭さは、社員の人間力にあるのだろう。」(p40~42)

曽野綾子著「自分の財産」は、
現在も産経新聞連載の『透明な歳月の光」(2007年5月14日~2011年12月28日収録)から表題に沿ったものを掲載し、追記した本なのだそうです。

以前は、新聞の連載は、読まなくても保存してあるから、本になっても買わないでいようと、みみっちい考えでおりました。気になる連載が一冊の本になるなんて、祝福して、お祝いがてら買うべきだなあ、と反省するこの頃。
コメント
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