私は、四人兄弟の末っ子。
姉・姉・兄そして私。
うん。立ち位置は、姉や兄の子供たちの
伯父さんということになるのでした。
のんきな伯父さんは、いままで
そんなことを、考えてもみませんでした。
ところで、
藤原智美著「文は一行目から書かなくいい」(プレジデント社)の印象が鮮明なので、この本について、もうしばらく、しゃぶっていたいと思うのです。
「文は一行目から書かなくていい」には、
印象鮮やかに長谷川四郎が登場しておりました。
「名文かどうかは、風景描写でわかる」(p76~)
に「では、一流の書き手は風景をどのように描写するのか。例として、長谷川四郎の『鶴』という短篇小説を紹介しましょう。・・私はこれを名文と考えますが、いかがでしょうか。」
引用が短く「いかがでしょうか」といわれても飲み込めない気分が残ります。うん。ここは、「鶴」を読んでいない私としては、このチャンスに読めるかもしれないと思ったりするのでした。
と思っても、すぐに忘れて次を読んでいると、また登場しております。
「この章の冒頭で、私は長谷川四郎の風景描写をご紹介しました。実は私も学生時代、長谷川四郎がつむぐ文章のリズムに引き寄せられて、一心不乱に作品をノートに書き写していました。基本的には自分の好きな作家を真似ればいいと思います。」(p96)
小説を読まない私ですから、他のことを思い浮かべます。
そういえば、長谷川四郎読本「ぼくのシベリアの伯父さん」(晶文社)が、読まずに段ボール箱で眠っている。ひらくと、ご本人の絵や写真があったりするのですが、最初には往復詩が掲載されておりまして題は「食事の時間」。長田弘・長谷川四郎の詩が並びます。
最初の長田弘氏の詩には、
詩の前に「長谷川四郎氏へ」とあります。
この詩。そういえば、
長田弘詩集「食卓一期一会」(晶文社)にもあったなあ。
詩集には「コトバの揚げかた」という題になっております。
ということで、
詩「コトバの揚げかた」の最後の方を引用
カラッと揚げることが
コトバは肝心なんだ。
食うべき詩は
出来あいじゃ食えない。
コトバはてめえの食いものだもの。
Kentucky Fried Poem じゃあ
オ歯にあわない。
どうでもいいものじゃない。
コトバは口福でなくちゃいけない。
ところで、「ぼくのシベリアの伯父さん」での長田弘氏のこの詩は、ところどころ微妙に違っている箇所があるのでした。
ここでは、最後を引用して、比較してみます。
Kentucky Fried Poem じゃあ
オ歯にあわない。
ぼくの伯父さん、あなたは
今日どんな言葉を食べましたか?
この読本によりますと
「長谷川四郎は、その名のとおり、四男である。兄弟姉妹は五人。妹一人を除く四人兄弟は、それぞれに・・・」(p152)とありました。
うん。今回は読める気がするじゃないですか。「鶴」。
こうして
どなたよりも、気分屋で、むらがあって、怠惰な
読者である、私を、囲い込んで、
本の場所までの地図を示して、
案内しながら、本の前に立たせて、
そんなことをしているような、
そんな気がしてきました。
姉・姉・兄そして私。
うん。立ち位置は、姉や兄の子供たちの
伯父さんということになるのでした。
のんきな伯父さんは、いままで
そんなことを、考えてもみませんでした。
ところで、
藤原智美著「文は一行目から書かなくいい」(プレジデント社)の印象が鮮明なので、この本について、もうしばらく、しゃぶっていたいと思うのです。
「文は一行目から書かなくていい」には、
印象鮮やかに長谷川四郎が登場しておりました。
「名文かどうかは、風景描写でわかる」(p76~)
に「では、一流の書き手は風景をどのように描写するのか。例として、長谷川四郎の『鶴』という短篇小説を紹介しましょう。・・私はこれを名文と考えますが、いかがでしょうか。」
引用が短く「いかがでしょうか」といわれても飲み込めない気分が残ります。うん。ここは、「鶴」を読んでいない私としては、このチャンスに読めるかもしれないと思ったりするのでした。
と思っても、すぐに忘れて次を読んでいると、また登場しております。
「この章の冒頭で、私は長谷川四郎の風景描写をご紹介しました。実は私も学生時代、長谷川四郎がつむぐ文章のリズムに引き寄せられて、一心不乱に作品をノートに書き写していました。基本的には自分の好きな作家を真似ればいいと思います。」(p96)
小説を読まない私ですから、他のことを思い浮かべます。
そういえば、長谷川四郎読本「ぼくのシベリアの伯父さん」(晶文社)が、読まずに段ボール箱で眠っている。ひらくと、ご本人の絵や写真があったりするのですが、最初には往復詩が掲載されておりまして題は「食事の時間」。長田弘・長谷川四郎の詩が並びます。
最初の長田弘氏の詩には、
詩の前に「長谷川四郎氏へ」とあります。
この詩。そういえば、
長田弘詩集「食卓一期一会」(晶文社)にもあったなあ。
詩集には「コトバの揚げかた」という題になっております。
ということで、
詩「コトバの揚げかた」の最後の方を引用
カラッと揚げることが
コトバは肝心なんだ。
食うべき詩は
出来あいじゃ食えない。
コトバはてめえの食いものだもの。
Kentucky Fried Poem じゃあ
オ歯にあわない。
どうでもいいものじゃない。
コトバは口福でなくちゃいけない。
ところで、「ぼくのシベリアの伯父さん」での長田弘氏のこの詩は、ところどころ微妙に違っている箇所があるのでした。
ここでは、最後を引用して、比較してみます。
Kentucky Fried Poem じゃあ
オ歯にあわない。
ぼくの伯父さん、あなたは
今日どんな言葉を食べましたか?
この読本によりますと
「長谷川四郎は、その名のとおり、四男である。兄弟姉妹は五人。妹一人を除く四人兄弟は、それぞれに・・・」(p152)とありました。
うん。今回は読める気がするじゃないですか。「鶴」。
こうして
どなたよりも、気分屋で、むらがあって、怠惰な
読者である、私を、囲い込んで、
本の場所までの地図を示して、
案内しながら、本の前に立たせて、
そんなことをしているような、
そんな気がしてきました。