和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

昔からの友人。

2009-02-06 | Weblog
半藤一利著「続 漱石先生ぞな、もし」(文藝春秋)の後口上。
そこに、最初に書かれた「漱石ぞな、もし」について、こうありました。
「わたくしの表看板は、昭和史研究であり日本近代史研究である。その延長上で夏目漱石が気になる存在として調査の対象になった・・・昔からの友人たちに、『君の書いたもので、今度の〈ぞなもし〉が最良だね』といわれた・・・」

うんうん。「昔からの友人たち」はありがたいもので、その鑑識眼に、私も賛同したくなります。持つべきものは友ぞな、もし。

ということで、〈ぞなもし〉に現れた、漱石の初期作品評価を列挙するのも
無駄ではなかろうと、思うわけです。

「漱石の小説群は、後期になると作為が目立ちすぎて、文章をたどるのがややシンドクなってくる、と思うが・・・・。で、傑作は何かと問われれば『吾輩は猫である』と『坊つちやん』と『草枕』をあげる。さっきも書いたように、なかんずく『坊つちやん』がのびのびとしていていい。しかも一本調子でなく、屈折もある。」
        (「漱石先生ぞな、もし」単行本p49)

次は、半藤一利著「漱石先生お久しぶりです」(平凡社)から、
これは、最近2月4日のブログで引用しましたが、もう一度。

「活字とはまことに有り難いものである。漱石が書いたもの、喋ったことなどがすべて本を通して、好きなときに読むことができる。『平時悠然、大事平然、失意泰然、危惧毅然、名利超然、毀誉恬然(きよてんぜん)』とは勝海舟のいった言葉であるという。含意のある語録とは承知しているものの、凡俗者としては簡単に失意のときに泰然というわけにはまいらぬ。そんな折に、わたくしは漱石先生とじっくりとつき合うのである。失意のときには『坊つちやん』を読み、毀誉褒貶に気持ちがゆれたりすると『吾輩は猫である』をパラパラとめくる。きまって漱石は何ごとか語りかけてくれる。」(p260)


もう一箇所忘れずに引用しておきましょう。
まずは、司馬遼太郎の短い文を全文引用しておりました。
ここでは、すこし端折って引用
「若いころ、なにかの口頭試問でそういう質問をうけたとき、ハイ、夏目漱石です、と答えるようにしていた。口上として無難だからである。いまもそう答えるしかないが、むろん漱石から影響をうけたとはとても思えない。かといって他のだれから影響をうけたわけでもなく、若いころはそのことが小さな劣等感になっていた。・・・・ただ・・漱石という人は、作家がとうていそこから自由になりがたいその時代の様式というものから、じつに度胸よく脱け出ていたということである。様式どころか、これが小説かというようなものをぬけぬけと書いていた。そういう意味での一種の守護神として漱石をかぎりなく尊敬するが、しかし影響うんぬんのことはなさそうで・・・」

こう半藤氏は司馬遼太郎の文を引用したあとに
「これでみると、司馬さんも漱石の初期の作品群が好きらしいようである。『これが小説かというようなものを』とは『吾輩は猫である』であり、『坊つちやん』であり、『草枕』などであろうから。そういえば、司馬さんの文学も『その時代の様式』から『じつに度胸よく脱け出』たのもということができる。司馬さんが漱石を『一種の守護神』といった意味が、そこにあるのではないか、とそんなふうに思っている。」(「漱石先生ぞな、もし」単行本p289~290)

半藤一利氏の、これらの漱石関連本は、
夏目漱石の初期作品を高らかに評価した、その旗印が、じつに鮮明なのです。
それを、昔からの友人たちは嗅ぎ取っていたのだろうと推測するのでした。
それとも、やんわりと半藤氏の他の著作について語っていたのかもしれません。

コメント (1)
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