わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

心について

2012-01-25 08:55:50 | 癒し
 人間というものが、他とちがうということを考えて
参ります時に、何が一番ちがっているかと申しますと、
それは、心を持っているということでありましょう。

 よろこび、かなしみ、いかり、なげき、寂しむ。

 心というものは、その折々に、私どもの相(すがた)を
うつして、正直なあらわれを示すのであります。

 ところで、この心というものが、どれほど深く
また広いものであるかということについては、
全くといってよいほど、知られておりません。

 それは、たとえば、よろこびですとか、かなしみ
という、海で申しますなら、海の波が静かであるか、
あるいはさわだっているかというそういう
ところだけをみて、ああ、今日はおだやかだ
とかですね、一寸あれているなとか、判断をして
しまいがちなので、なかなか心というものの
深さが、私どもには伝わらないのであります。

 ここにいうよろこびとか、かなしみとか、普段
私どもが、心だとみているものは、実は
気持ちの働きでありまして、海でいえば波に
あたるのであります。それで、心というものを
たずねて参りますと、実は、ずっとずっと深い
よろこびとか、かなしみとか、迷いとか、とにかく
一切そういう波に惑わされない、明るい大円光に
たどり着くのです。

 自分という人間の奥に、こんな明るい世界が
あったのかとおどろく程、そこは明るい。
なぜなら、そこは、神のこころの世界だから
であります。

 人間というものは、いつも私が申しますように、
神の分生命(わけいのち)、神の分霊(わけみたま)。
 神のこころが人をつくり、人に分かれ、この地上で、
極みない神の愛のすがたをあらわすべく存在
しているものなのであります。

 ところが、想念というおもいの世界が、この
あらい肉の世界をおおっておりまして、そのために、
先程申しました海でいえば波にあたる部分を、
まさしく自分自身だと勘ちがいして、永い間
生きてきたのであります。

 私は、さっき、気持ちの働きと申しましたけれども、
これだって「気」を持つ--つまり、ゆったりとした
明るい、何物にもとらわれない神の「気」が、
私どものなかに流れ込んで心をつくっている
ということでありまして、本当のところ、
気の流れを受け、気の流れのままに生きる、
活かされているというのが人間の真実の姿
なのであります。

 言葉をかえていいますと、お任せする
ということですね。

 何に任せるのか?人に任せるんじゃありませんよ。
 こういう心を送って下さっている神に任せるんです。
 もっといいますと、こういう心に支えられている
自分の奥に存在する神様と直結した自由の天地を
たたえるのであります。そして、この天地と
直通の道路を、気持ちが走るために与えられて
いるのが祈り、世界平和の祈りなのであります。

 どうぞ、私どものおもいの一つ一つを大事にして、
よろこぶ時にはよろこび、かなしむ時には
かなしみながら、しかも、与えられている気の働きを
深めるために、こうした心を深くするために、
世界平和の祈りを日々瞬々祈っていただきたいと
思うのであります。
              昭和62年2月1日