わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

いのり

2011-01-21 10:05:36 | 癒し

 祈りというのはどういうものかというのは、考えれば考える程

わからなくなる。まじめな信者さんである程そういう質問を

よく受けます。

 そういう人ほど良心的で考え込んでしまって、自分が

出来ていないのに人に薦める訳にはいかないとか、共に祈るような

資格は私にはないんじゃないかとか。

 そうなるとちょっとノイローゼに近い位に悩み込んでしまっている。


 祈りというものは、神様と私の対話なのです。と同時に、世界人類と

私の祈りでもあります。この場合の世界人類というのは、地球の

世界人類だけではなくて、宇宙全体の宇宙の星の兄弟たちとの

一人一人との、その交信も含みますね。

 ですから、真に広い幅になる訳です。そこまで考えていくと、

私共の世界人類が平和でありますようにという祈りというのは、

非常に大きいし深い。そして、自分が出来るか出来ないかということ

ではなくて、もう向こうの方で抱きとってもらってる訳なんですね。

 ですから、何も考えずに祈るというのが一番いい訳なのです。四の五の

言ってる間は理屈なんです。祈りというのは理屈を超えたものなんです。


 そんなこと言ったって祈れませんという時は、祈れなくていいのです。

 集会に行きたくないのに無理に集会に行ったり、何か行事があるから

絶対に人数がいるからといって集めたって、それはどうにも

ならないんです。その人の気持ちがどうにも向かないという時に、

無理に薦めたってそれは萎びるだけなんです。

 本体と肉体は違う訳だから、本体は行きたければ、さっさと霊体が

行っちゃってる訳です。

 自分の肉体がどうであれ、霊体は行って統一会に出たりなど

している訳ですから、そこまで我々の肉体人間が神経質になることは

ないんです。


 ですから、真面目な人ほど色々色々考えるけれども、しかし、

そうじゃなくて、もう一回、子供みたいに無邪気になって、

世界人類が平和でありますようにという風に祈る。祈って任せる。

 そこからでないと我々の道というのは開いていかない。

 そういう風に思います。

   昭和63年6月13日

                  五井 昌久


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