わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

短 信(30)

2015-12-11 06:11:55 | 癒し
 祈りの生活のなかでどういうことに
気をつければよいかという、御手紙の
御趣旨かとおもいます。

 祈りというものは、私達を自由に
するものであります。本来、肉体
ではなく、光そのものである人間の
自由自在身であることをしらせて
くれるもの、それが祈りであります。
 つまりは、すべてのとらわれから
離れ、また放たれるのであります。

 祈っている私達は、実は祈らせて
いただいているのであります。

 神様が、守護霊守護神が、私達が
眠っている間にも、一瞬もやすむこと
なく守りつづけて下さっているように、
私どもの本心本体は、ずっとずっと
祈っている。祈らずにはいられない。
 祈りを生命としているもの、それが、
人間であります。私ども一人一人
なのであります。

 ところで、先程申しましたように、
祈りは、私どもを自在身にいたらせる
すこやかな光そのものでありますので、
祈って参りますうちに、祈っている
ことをも意識しない、朗らかな
自分自身に出合うことになるので
あります。
 朝の九時と午後の三時、それに夜の
九時がお祈りの時間だからと
申しましても、日常のなかで、
どうしても出かけなければならない
とか、人がたずねてきて、統一の
テープがかけられなかったとか、
さまざまなことが起きるのが当然
でありまして、そうした時に、祈りの
時間が守れなかったと思ってイライラ
したり、クヨクヨしたりするのは間違い
なのであります。

 実際、あなたが祈れない時には、
守護霊守護神が祈っているので
ありますし、守護霊守護神が辛い時
には、これまで申して参りましたように、
私が祈っているのであります。

 現実生活というものを、馬鹿にしては
なりません。大切なその場にその人が
いなければみんなが困るという場を
放たらかしにして、統一会にかけつける
などは、本末転倒であります。

 こういうかたよった、人の立場、また
自分の立場をかえりみないやり方で、
祈りに没入し、宗教に没入することは、
断じて間違っているのであります。人を
犠牲にした上での祈りは、光を放つ筈が
ありません。

 祈りは、神のみこころであります。
 人間を愛し、人類の進化と、宇宙の
大調和とを実現させるという深い神の
みこころが、世界平和の祈りのなかには
こめられております。否、このみこころ
そのものなのであります。

 どうぞ、寛やかな、ゆたかな心で、
祈りをなさって下さいますように、
神の愛、神のこころは、森羅万象の
なかにみちみちているのであります。

 素直に、のびやかに広く広く、
いのちを生きて下さいますように。
            合 掌 
              昌 久 


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