わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

水子の霊について

2013-06-07 12:51:21 | 癒し
 (問)水子の霊についてお聞きしたいんですが、
水子というのは菩薩行の魂なので、幽界みたいな
ものと違い、簡単に祟るというものにはならない
という話を聞いたことがありますが。
 実際に水子の霊がついている方というのは、
俗に耳にするんですが、そういうものというのは、
何がそういう形になって、何を守護の神霊達が
この本人に伝えたいのか、お伺い致します。



 (答)水子の霊というのは、前にも言いました
ように、菩薩行なんで、自分は生まれない中途で
生命を絶たれてしまうんだということを分かっ
てる訳なんです。分かっていますから、絶たれ
ちゃっても、そちらのところの子供に生まれて、
親なり家族達を栄えさせてゆく。又、こちらが
悪かったなと思って子供の霊を祈っていれば、
その光が届いて、向こうからも光が来て、両方
良くなってゆくという霊体ですけどね。

 ところが、白光でも水子供養ということで
みたま祭りの中でやりますけれど、人間という
のは、神界にも霊界にも幽界にも肉体界にも
同時に存在していると言ってるでしょう。
 幽界というのは、いろんな人間が、不調和の
想い、良くない暗い想いというのか、想いが
凝り固まって訳の分からない取りつく化物とか、
そういうものを生み出している世界、それが
幽界なんですね。
 大体水子の霊、霊障といわれているものは、
だいたいこの幽界の、人間世界の方に何か隙が
あったら取り憑いてやろうという想いなのです。
 想いというのは何処から来るかといったら、
これは神様が造ったのでもない、悪魔が造った
のでもない。人間の中の色々な不安だとか、
苛立ちとか恐怖だとか。
 はっきり言えば、人間の中で何が一番恐怖か
といったら、肉体の生命が70年80年で
終わっちゃったら、自分達は一体何処に
行くんだろうと。何処から来て何処に流れて
行くんだろうと。もしかして肉体だけで
終わりだったら、こんな不安に満ちたものはない
というので、色んなものが起きている訳ですね。
 この不安を解消する為に宗教があるんですが、
尚且つ家が火事になったとか、親が死んで
いっちゃったとか、子供を流産したとか、
そういうことが続いてくると、何か神様、仏様
というけれども、そんな想いになれなくて、
決してそんな良い光ばかり受けているのでは
なくて、光をのみつくすような闇があるんでは
ないかという、そんな想いが段々ふくれていって、
それが例えば、幽界の色々な生物達の力を借りて、
水子なんていう想念の化物を生み出してしまって
いるんです。

 そこのところが大事なんで、守護の神霊が
それをもって何をするかというと、守護の神霊は
何も関係ないんです。そういう想念には全く関係
ないんです。もし関係がありとしたら、そういう
不幸とみえる出来事に対して、じゃあどんな風に
生きてゆくべきかという、一つの魂の鍛え
としての躓きの石をわざと送っているのは
ありますよね。そういう意味で、色々な世界を
見回してみて、ああこの人にとってここが一番
弱いんだな、で、このところでちょっと不幸と
みえるようなものを置いとかないと、この人は
強くなってゆかない。
 守護の神霊がそんなことを考えるのは、この世
だけの何十年の世界だけを考えているのでは
なくて、何十生何百生何千生後の、その人の
天命の入り具合、神様の懐への入り具合を考えて、
躓きの石を置く訳なんですよね。

 だから、この世の中で、不幸続きで不幸続きで
それで死んじゃったという人があって、それだけ
見れば、神様は非常に不公平だということに
なって、やっぱり水子もある霊障もあるという
ことになってしまうことになるんですが、
そういう一生を送ることで、その人が前生の
借りを払い落として、次の生命の世の中で、全く
明るい生命になって生まれ変わるということは、
いくらでもある訳ですね。
 そういう意味で言うと、生命というのは決して
障りというものはない訳で、生命というものは
どんなに闇にみえてもお先真暗にみえても、
家の中はひっくり返って、息子と嫁がうまく
ゆかないとかですね。あるいは、色々な家族の
中でくっついて離れたとかね、子供がいうことを
聞かないとかね、そんなことも皆悩みですよね。
 別に水子だけでなくても、それだけで闇に
見えちゃう。でもそれがその人の一生というか、
何十生何千生生き通しの生命を、障りなくずっと
輝かす為に、何千年先の為に今必要なんだと。

 そういうところから見てゆかないと、生命
というものは途方もなく大きいもんですからね。
 そういう意味で言えば、水子というものは全く
存在しないんです。想念の障りだと思っている
部分、人間が不幸だと思って見れば見る程不幸の
固まりに見える。そこのところを利用して存在
させられているというだけの話なんです。
 ただ、守護の神霊がそういうものを置く場合
には、ただその想念を利用するんじゃなく、必ず
その抜け道というものがある。私が前に天が
空いているよと言ったけれど、必ず絶対に援軍が
あるんですよね。

 闇があるところには光があるから、想念
というものは全部消えてなくなっちゃうもの
なんですから、消えてゆく姿でもって
見てゆけば、水子も何も粉砕されちゃうんです。
 だがその辺が、どこでどうという区切りが
非常につきにくいんです。でも一切は全部光
なんですから、全部が永遠の生命に溶け込んで
くる。その為の過程なんですから。それは全然
心配することはない訳です。悲しむことも
ない訳です。