天王洲アイルの銀河劇場で「ネジと紙幣」を観てきた。
このお芝居のことを知ったのはつい先週。で、すぐにオークションでチケットを落とした。
反応した理由は、近松門左衛門の作品が元になっていることと、森山未来とともさかりえが主演だったことかな。
8月の終わりだったと思う。たまたま観ていたテレビで近松門左衛門の番組をやっていた。士農工商が厳然としていた江戸の時代に、武門に生まれた武士が身分を捨て、30代になって名前を近松門左衛門と変えて人形浄瑠璃の世界に入った。そして70代で亡くなるまでに130作品もの歌舞伎と浄瑠璃を作った。
有名な曽根崎心中は、当時実際に民間で起こった事件を題材にして大ヒットした。
といっても歌舞伎に詳しくない私はそのとき初めて知ったのだが。とにかく不変の人間性を描き、江戸の人たちに強烈に受け入れられた天才だったのだ。
「ネジと紙幣」は彼の「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」という作品がもとになっている。それで興味を持った。
ただ、歌舞伎でのこの作品は非常に重くて暗く、二度と見たくないという人もいるらしい。
それが現代劇になるとどうなるのか、そんな興味もあった。
町工場の次男坊「行人(ゆきと)」は家業も手伝わず悪い仲間とつきあっている。
家族からもうとまれているが行人がそうなるには色々複雑な事情もある。花火大会の夜に起こしたけんかがきっかけでゆきとの人生は坂道をころがり落ちるように転落していく。そんなゆきとを幼なじみの桃子は姉のような気持ちで気にかけていたが最後にゆきとに殺されてしまう。
観終わったあと、私はこの芝居のテーマってなんだろう、と思った。すぐには思いつかなかった。
でもこれかな?とも思った。
最後のほうのふたりの会話。
「これは一体何から始まったのかを考えると、どこが「始まり」なのかわからなくなる、これが始まりかと思うと、もっと前から始まっている気もするし。疲れるから「始まり」は考えずに「終わり」を考えることにする」
と言う行人に「だったら「ちょっとだけ先」を考えるようにしたらいいじゃない」と諭す桃子。
そう、人生に起こる出来事はどの時点から始まっているのかわからない。終わりを探すほうが簡単なもしれない。
その後、ふたりは金銭のことで争ううちに、
桃子は行人に「あんたもうダメだ」的なことを言ってしまう。禁句。おそらく桃子は行人にとって最後の砦だったんだよね。その桃子に全否定され、振り子がわずかに傾いて殺人者になって終わらせることを選んでしまった。ただそれだけ。
なんだかな~。
8月の終わりに観た「ダイバー」も殺人がらみの話で感情移入しづらかったけど、今日のもそうだったな。
ただ、それぞれの役者たちのたたみかけてくるようなせりふと体を張った演技が素晴らしく、すごく芝居らしい芝居だった。
そういう点でとてもおもしろかった。
銀河劇場の入っていたシーフォートビル。初めての銀河劇場は全746席のわりと大きな馬蹄型のホール。
帰ってから近松門左衛門について調べていたら、彼は大津の三井寺で若いころの3年間を過ごしたらしい。
えぇぇ、三井寺、なつかしい!
私も父の仕事の関係で三井寺のすぐそばで10代の2年半を過ごしたんだよ~。奇遇。時空を超えたニアミスだ。
こういうのってうれしいもんだよね。
会ったこともない江戸時代の天才戯曲家に親近感を覚えたりして。
いや、かつてその時代に生きたことのある私は彼の手になるお芝居を嬉々として観に行ったかもしれないし。
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宇都宮に住む義妹がこっちに来るたびに「ビルばっか」と人間の住む所じゃない的な発言があるの。彼女も東京に住んでいたことがあるのにね。でも確かにずっと住んでいて慣れてしまっているけどそういう要素もあるんだろうね。ただお芝居や展覧会をたくさん観られるのはやっぱりメリットかな。