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ruruBの極楽な日々

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エジプト5日目ー2(アブシンベル神殿 昼&夜)

2009-12-10 23:49:21 | エジプト


アブシンベル神殿に着いた。

駐車場で降り、ゆるやかに続く長い坂道を、



ナセル湖のほとりへ向かってしばらく歩く。




さらに湖に沿って歩くと、この写真の左側部分に、




突然、アブシンベル神殿の大神殿があらわれる。


ラムセス2世が紀元前1200年ごろに建設した神殿だ。




わぁぁ、これは!




すばらしい!!




左の2体。脇の小さな立像は妻のネフェルタリ。




そして右の2体。


4体の座像はすべてラムセス2世をあらわしていて、左から順に年を重ねた姿なのだそうだ。
左から2番目が崩れ落ちて、胴から上は足元にころがっている。


もともとアブシンベル神殿はアスワンハイダム建設時に水没する位置にあったが、ユネスコが各国に呼びかけて案と援助を募った。

スイスの案が採用され、千数百のブロックに切り分けて60m移動させ、人工的に作った岩山のところで再び組み立てることになった。

日本はそのときに使った接着剤を提供したらしいよ。


大神殿の中は撮影禁止だったのだが、中も素晴らしかった。


そして、大神殿の右側にある小神殿。



小神殿はラムセス2世の王妃ネフェルタリのために造られたのだそうだ。

王妃の神殿だからか、内部の壁画も女性的な絵が多く描かれていた。


昼間の見学を終えて、今日宿泊のホテル、ネフェルタリにチェックインする。


実はこのホテルに泊まるのが心底こわかった。エジプトに来る前にネットで調べたら評判がよくなかったからである。

アブシンベルは非常に遠いところにあるので、8日間の旅程の人はこの神殿に日帰りで訪れる。

私たちは10日間なので、アブシンベルに一泊して、昼、夜、翌朝の日の出、と神殿の3つの姿を見ることができる。

それはいいのだ。問題は泊るところだ。

アブシンベルにはホテルが4つしかなくて、そのうちふたつは日本人が泊るには向いていない。ということで、選択肢はセティとネフェルタリのふたつなのだ。

セティは高級なリゾートホテルなので、高めな値段設定のツアーが利用し、格安設定の旅行はネフェルタリということになる。

ネットによると、とにかく虫などが多い、と。

ある宿泊者は、何か視界に動くものがいると思ったら家具のわきに正体不明の生き物(爬虫類系かな~)が潜んでいて悲鳴を上げたそうだ。ホテルの従業員に助けを求め、追い払ってもらったが、そのとき従業員が調子に乗って部屋の外でその生き物の頭を踏みつぶそうとし、再び悲鳴を上げて制止したそうだ。いまだにそれが何だったのかわからないそうだ。

それからフラダンスの教室に通う友達は3年前のエジプト旅行でネフェルタリに泊った。ときは5月、エジプトの夏。当時すでにボロボロで古くて汚かったという。
夜中になにか気配を感じたので起きて電気をつけると、床にありとあらゆる(!)虫がいたそうだ。しかもベッドで何かに刺され、朝起きたらTシャツに血がついていたという。話しながら恐怖の記憶がよみがえったのか、薄っすら涙目になっていた。ひょぇ~~~~。

私、虫はダメ。ムリ。

チェックイン前のバスの中で添乗員さんが「やもりやトカゲは友達です」と言っていた。

いやだ、友達じゃない。




私の部屋。う~ん、古い。エジプトのベープマットみたいなのが置かれていた。さっそくコンセントを入れてセットした。




ベッドの足もとのほう。

ビクビクしながら偵察。近眼だけどあえてメガネはかけない。見たくないものは見ないようにしよう。

と、突然、写真の冷蔵庫側の壁を、何か黒い影がマッハの勢いで通り過ぎた。

ギャ~~~~、びっくりした。イモリか?!




夜のアブシンベル神殿に「音と光のショー」を見に行く前にさっさとシャワーを浴びた。宿泊者が一斉にお湯を使うとお湯が出なくなるみたいなので。

お湯はちゃんと出たよ。



湯沸かし器。旧式っぽい。下のほうの部品がズレてる。


18:30にロビーに集合し、「音と光のショー」を見に行く。イモリがあいさつに来たのは私の部屋だけみたい。みんなのところにはまだ出てないらしい。


まだ7時前だというのにアブシンベル神殿まで来ると、満点の星がものすごく綺麗で感激した。目線の高さまで星が見える。




ライトアップされた神殿のかっこいいこと。



小神殿も。


会場でのショーの音声はその日の観光客の割合が多い国の言語になるそうだ。今日は日本人の人数の勝利で日本語。ラッキー。




神殿のある岩山がスクリーンになって、




ラムセス2世のお話が、




ドラマチックに語られる約35分のショー。


エジプトの良くできた大河ドラマを見ているようで楽しめた。




ただ、座っていると風が吹いてけっこう寒かった。砂漠は日中は暑いのに夜になると冷えるんだよね。

ホテルに帰って遅い夕食を食べ、部屋に戻った。

また虫が出ないか、ビクビクしていたけど、その後はイモリもほかの虫も見なかった。でも念のため、寝るときは明かりをつけたまま、そして、マスクをして眠った。

不思議なものだね、

ここのベッド、今までのどのホテルよりも寝心地がよく、ぐっすり眠れた。

そんなものかもね。






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エジプト5日目ー1(アスワン~アブシンベルへ)

2009-12-09 23:11:56 | エジプト


11月25日。

今日は7時に起きれば余裕だったのだが、6時過ぎには眼が覚めた。

ピラミサ イシス アイランド リゾート&スパの朝。



窓からの景色。中洲なのでプールのある庭と細いナイル川が見える。




朝食を取りに行く。すっかりお気に入りのジャム。左からアンズ、ハチミツ、イチジク、イチゴと4つも食べて幸せ。

朝食後に散歩をした。



ホテルのロビー。




船着き場に面しているホテルの玄関。




庭のほうへまわって、




写真を撮りながらブラブラしていたら、ヌビア人のお掃除のおじさんが黄色い花と巨大なインゲン豆みたいな植物を取ってプレゼントしてくれた。




これ。豆は長さが30㎝以上もあったよ。




モーターボートで川を下り、バスに乗りかえて、切り立てのオベリスクを見に行く。




エジプトの犬。この子、膝から下が短い。




眠そうなもう一匹。




行き倒れのように眠っている。



そばを通っても2匹とも起きやしない。


切りかけのオベリスクを見に行った。



オベリスクって、これね。




ちょうど写真の左下から右上にかけての対角線上に作りかけのオベリスクが横たわっているのがわかるだろうか。


オベリスクを作るときは、一枚の岩を輪郭から深く彫り下げて行って最後に立てるんだよね。気の遠くなるような作業だ。

このオベリスクは、作っている途中で石に亀裂が入ってしまったので、未完のまま放置されてしまった。


今日はこれからノンストップで砂漠を走り、エジプトの最南端、アブシンベルまで行く。

アブシンベルへ行く観光客は単独で移動することはできない。バスも車も、前後を警察のコンボイにはさまれて隊列を組んで移動するのだ。

なんだかぶっそうだな、テロを警戒しているのかしらと思ったら、そうではないそうだ。

アスワンからアブシンベルまでは280キロ。車で約3時間半かかり、ずっと砂漠が続いていて、途中には休憩する場所ひとつない。

その間に何かあったとしても砂漠のど真ん中ではどうしようもない。たとえば車が故障したら立ち往生してしまう。

なので、コンボイとともに空(から)のバスも1台走る。もし途中でバスや車が故障したら観光客はその空の車に乗りかえて移動するのだ。




こんな何もない砂漠が延々と続く。




ところどころに、こういう岩山があったりする。

バスの中でガイドのTさんが驚愕の3つの話をしてくれた。実話である。

まず、1997年のルクソール、西岸にあるハトシェプスト葬祭殿で起きたテロの話。あの日の朝8時過ぎ、観光をしていた日本人10人を含むスイス人、イギリス人観光客が多数亡くなった。

実はその朝、もうひと組のグループが観光している予定だった。アメリカ人のグループだ。ところが、事件の起こる20分前、そのグループにアメリカ大使館から連絡が入った。西岸へは絶対行かないように、順番を変えて、まず、東岸を観光するよう伝えてきたそうだ。そして、そのアメリカ人グループは事件に巻き込まれなかった。
大使館は事前に知っていたのだ。エジプト人たちは噂しあった。「だとすれば、なぜアメリカは日本にも知らせてあげなかったのだろう。アメリカと日本は仲がよかったんじゃないのか」


2番目は9・11の話。Tさんは当時エジプトの大手証券会社に勤めていて貿易センタービルに入っていた証券会社と毎日連絡を取っていた。
不思議なことにテロの起こった当日の朝9時5分、いつもなら来ているはずのユダヤ人たちが一人も来ていなかった。電車がどうした、とか、自分の靴がどうした、とか、体の具合がちょっと、とか、さまざまな理由で。それはなぜ?


それから、2005年、エジプトのリゾート地、シャルム・エルシェイクで同時多発爆破テロが起きたとき、Tさんの兄は爆破現場のひとつとなった高級ホテルに勤務していた。爆破が起こったのは現地時間の真夜中、午前1時ごろだったが、その2時間前の夜の11時に、ホテルに泊まっていたイスラエル人、総勢130人が突然チェックアウトしてしまい、ホテル側はパニックになったそうだ。なぜなら予定では130人は翌週まで滞在することになっていたから。ここでも事前に情報がもれていたのだろう。

というわけで、現実に起こったことでも表面と裏は違う、でなければこんなおかしなことがあるわけがない、とTさんは言っていた。

表にあらわれた情報だけが正しいのではなく、そこには巧妙な情報操作が加わっているかもしれない。

私たちはまことしやかなニセモノの情報にコントロールされるのではなく、いつも心眼を開いて何が正しいのかをしっかり見極めなくちゃいけないんだろうな。

遠いエジプトの砂漠を走りながら色々と考えさせられた。




午後2時半、やっとアブシンベルに着いた。どこかのホテルのレストランでお昼を食べた。

ロビーの真ん中にあった、この大きな足つきの金ぴかの器はお香を焚くものだった。

午後はいよいよアブシンブル神殿だ。




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エジプト4日目ー2(アスワンハイダム~アスワン)

2009-12-08 23:26:18 | エジプト


コムオンボ神殿からさらに車で30分南下。アスワンに着いた。




ナイル川の岸辺からモーターボートに乗って、




中洲にあるヌビアン・レストランへ。ヌビア人とはエジプト南部からスーダンにかけて多く住む黒い肌色をした人たち。
多くのヌビア人たちがガラベーヤ(ロングワンピースのような衣服)を着ている。




ヌビア料理と言っても相変わらず似たようなメニュー。パンとペーストと、




モロヘイヤのスープ。




ケバブとコフタ?




またモーターボートで元きた場所へ。



その後に行ったアスワンハイダム。



アスワンハイダムができたことによって出現した巨大な湖、ナセル湖。
琵琶湖の7・5倍の大きさだって。海みたい。



アスワンハイダムのモニュメント。建設に協力したロシアとエジプトの国旗が飾ってある。
ハッタリをかましているような異様な形が新興宗教の建物っぽい。



真下から見あげた図。


しかし、連日世界遺産のような遺跡を見てきているので、こういう現代的な建造物がとても安っぽく味気なく見えるな。う~ん。




その後、香水瓶のお店へ行った。濃い顔のエジプト人が香水瓶づくりのデモンストレーションを。



出来たての香水瓶を自慢げに見せるエジプト店員。買わなかったけど。




すっかり日が暮れた。ふたたびモーターボートに乗り込み、



今日の宿泊先である、中洲にあるホテル、ピラミサ・イシス・アイランド リゾート&スパへ向かう。




夕食はホテルでブッフェ。

「なんだか、品数が多い♪」 素直に喜ぶわたくし達。



デザートだって豊富だよ。




ほら、こんなに。写真の下に写っているマンゴーケーキがめちゃくちゃおいしかったよ。わ~い。




お部屋も綺麗で清潔で快適だった。



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エジプト4日目ー1(ホルス神殿、コム・オンボ神殿)

2009-12-07 23:19:53 | エジプト


4日目の11月24日もモーニングコールの30分前に目が覚めた。
この日はルクソールから南へ向かって観光しながら移動する。

まず2時間ほどバスに乗り、エドフという町に到着。

ホルス神殿へ行く。

観光地に着くと、最初にあるのがトイレ休憩だ。
トイレはどこも完備されていない。2~3個しかなく、しかも、流れが悪く、こわれているものもある。そこに、たとえばうちのツアーだけでも女性20人以上が一斉に並ぶので、全員終わるのに30分くらいかかってしまう。けっこう大変だ。

そしてトイレは有料である。トイレ係のエジプト人がトレペを片手にトイレの入り口にいて、ちょっとちぎって渡してくれたら1エジプトポンド(約17円)を支払う。

こまかいお金がなくて5ポンドとか渡しても要求しないとなかなかおつりをくれない。持ってても「おつりはない」としらばっくれたりする。文句を言えばくれることもあるが。

日本に帰って来て空港でまず思ったのは「日本はなんて綺麗なトイレに並ばずにタダで入れるんだろう、素晴らしい♪」ということだった。




ホルス神殿の門が見えて来た。




近づいてきた。手前の石をまわりこむと、




全貌が現れた。 お~、大きい!




門の前には対のホルス神(ハヤブサ)の像がある。


ホルス神の神話はエジプト神話の中で最も有名である。

大地の神ゲブと天空の女神ヌトは子供を産んだ。オシリス(長男)、イシス(長女)、セト(次男)、ネフティス(次女)である。

オシリスはイシスと結婚し、セトはネフティスと結婚した。オシリスは王となり、人々にも人気があったので、セトは嫉妬にかられた。そのうえ妻のネフティスがオシリスと浮気をしたため、逆上したセトはオシリスをひつぎに閉じ込めてナイル川に流した。

イシスはひつぎを探しあて、遺体を再生させようとしたが、セトはふたたびオシリスをバラバラに切り刻んでナイル川に流してしまった。

イシスはそれらひとつひとつを探し集め、魔法を使ってオシリスを再生させた。ただひとつ、生殖器が見つけられなかったが、それはナマズに食べられてしまったのだった(だからエジプト人はナマズは食べない)。ニセの生殖器(?)で息子ホルスが産まれた。

オシリスは不完全だったので冥界の王に、息子ホルスは成長して現世の王となった。そしてセト(カバ)へ復讐をして父のかたきを取るのだった。

そんなホルス神を祭っている神殿なので、ホルスがセト(カバ)をヤリでやっつけている、あるいは供物をささげているというレリーフが多い。




門の上のほうにある、太陽神とコブラのマーク。




中庭をぐるりと囲っている柱。




船のレリーフ。




中庭。かつての礼拝所で一般人はここまで入ることができた。床に敷き詰められた石は当時のままのものだそうだ(!)




列中室の前のホルス神像。




こんな柱がいっぱい並んでいる。多くの部屋は昔寝泊まりに使われていたので天井には煮炊きの跡のススで黒く汚れている。




一番奥の部屋。聖なる場所で昔は神官とファラオしか入れなかった。船の形をした神輿のレプリカが置かれている。




壁にビッシリと書かれている。




ホルスが船の上からセト(左下のカバ。小さい)をヤリで刺してやっつけている図。


ここホルス神殿はレリーフがとても綺麗に残っているのに、こんな風にすべてのレリーフの顔の部分が削られている。

これはローマ時代のキリスト教徒たちのしわざなんだそうだ。偶像崇拝の禁止とかなんとかで…

古代の遺産になんてことするのさ!! もったいない!

大昔の蛮行とはいえ、本気でイラついた。


ふたたびバスに乗って1時間ほど走り、コム・オンボ神殿へ行った。



プトレマイオス王朝の時代(紀元前306-30年)に建造された神殿。




柱の下部が残っている。


コム・オンボ神殿はナイル川沿いの丘の上にある。



ガイドさんは旗(エジプト国旗と日の丸が表裏)の柄をぶんぶん振り回しながら語る。何を聞いたのか忘れちゃったけど(汗)




昔のカレンダー。




出産のシーン→中央で横向きに座っている女の人。その右には色んな医療器具が描かれている。




柱。昨日から神殿続きで、このあたりまで来るとどれがどれやら見わけがつかなくなってくる。
エジプト行った人は高い確率で同じ傾向にあるようだ。そんなコム・オンボ神殿。




ライオンが何かをかじっている、イテテテテ…



ここでこの日の午前中の観光は終わり。

昼食&午後のアスワン観光に続く。



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エジプト3日目ー2(カルナック神殿~ルクソール神殿)

2009-12-05 21:00:47 | エジプト


午後はルクソール東岸をめぐるオプショナル・ツアーに参加した。

まずは新王国時代のファラオたちが建築・改装を重ねた広大なカルナック神殿。



広場を通って最初の入り口へ。



第一関門の高さは24m、幅65m。



両脇に牡羊のスフィンクスが並んでいる。



混んでいる(汗)



先へ進む。混んでいる(汗)



ラムセス2世とネフェルタリ(足元)の像。



巨大な柱がある大列柱室。



直径2m、高さ23mと15mの柱が134本!
ところどころに横渡しの石が残っている。


下からアップで。

その天井にもいろいろ彫ってある。ひょえ~、どうやって?!



2本のオベリスク。



何かのテキストとかガイドさんが言ってたっけな~(?)



横たえられたハトシェプスト女王のオベリスク。
当時神殿内に対で立っていたときは先端部分が金ぱくでおおわれ、光り輝いていたそうだ。29.56m。



外国人もぐるぐる回っている、



7回まわると良いことがあるというスカラベ(ふんころがし)の像。もちろん私もまわったよ、けっこう大変。



元来た入り口を抜けて夕暮れの広場を通って帰る。なんだかディズニーシーに似ている…


それからライトアップされたルクソール神殿へ。



ひょ~、綺麗!



正面入り口。ここもめちゃ混みで人多すぎ。

誰かが「成田山参拝のようだ」と言っていた(笑)



ラムセス2世の巨大な座像。



中庭にもラムセス2世の座像。



ツタンカーメンの座像。右は王妃のアンケセナーメン。

ツタンカーメンが野球帽をかぶっているように見えるが、そうではない。
王妃はダンゴ鼻に見えるが、そうではない。鼻がもげているだけだ。

ツタンカーメンの亡くなった年齢は17~19歳と諸説あるが、王妃はちょっと(2~3歳?)年上だったようだ。

しかも王妃はツタンカーメンと結婚する前にツタンカーメンの父親と結婚していたので(!)再婚だ。

ツタンカーメンの死後は次のファラオとなったアイと再々婚している。複雑な運命だなぁ。

でもツタンカーメンと結婚していたときがいちばん幸せだったんだろうね。

その証拠に、



像の裏側にまわると、王妃の手がツタンカーメンの肩にそっとそえられている。



白い光の月と星。



レリーフも浮かび上がって幻想的。



帰り道。夜の神殿もいいもんだね。


いったんホテルに戻って夕食を食べに行った。



どっかのホテル内の中華料理屋のお店。

けっこう色々出てきた。
マーボー茄子風、中華スープ風、焼きそば風(きしめんのような太い麺)、春巻風とすべて中華のようであって中華ではなかったっぽいが。

そのほか鶏料理、魚料理、デザートにぶどう。あと緑茶も。

それでも連日の同じようなエジプト料理に飽きてきたところだったのでうれしかった。

写真のビールはエジプトのステラ。さっぱりして飲みやすい。



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