完璧に近い右脳人間の私は、計算やメカに大変弱い。これを書き始めたら、何故か
大昔の事を突然思い出した。それは中学受験のため「内申書」を先生に書いて頂いて
それを父に渡した。すると、父は私の目の前でそれを実に上手に開封して、読んで
くれた。いろいろあったがハッキリ覚えているのは、「感情表現は非常に豊かだが
推理力は少々劣る」だった。それは高齢になっても、「ズバリ今の私だ」それにしても
小学校の先生の洞察力は凄いなと、今更ながら感心した。
継母に育てられた私は、生育時には「怒られ過ぎ、可愛がられ過ぎ」と両極端だった。
ある意味屈折した面もあったようだが、.計算しない天性の天真爛漫さが、社会に出て
もかなり有利に働いたようだ。そんな性格は今でも夫を楽しませるようで、彼は時々
ニヤニヤしているが、私は面白いらしく、それにそそっかしさも加わっているようだ。
何歳になっても子供のような私は、「かなり特異な人間かも知れない」と気づいてから
思ったり、感じたりしたことを言葉にしないように気を付けた。
そのため、まあ普通に見えるらしいが、昔から「三つ子の魂百まで」と言われるが
末期高齢になってもそれを引きずっている、そんな自分に時折辟易している。