ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

夫の写真を見ながら…「元気な私でいるね」と約束

2024-10-10 11:36:05 | エッセー
 どう考えても夫が先に逝くのは自然なので「あなたが先に死んだら、怖くないようにすぐ迎えに来てね」と頼んでいた。すると、「そんなことできるか
どうかわからないから約束できないよ」といつも言っていた。
 亡くなる4日ほど前、意識が朦朧としはじめた頃、同じことを言って
「指切りね」と言ったら、固く指切りしてくれた。
 でも、どう考えても健康老人なので、無理だと思うので、諦めている。
でも、ときどきどうしようもなく淋しくなるが、娘がほとんど毎日夕食に
来てくれるので随分助かっている。

料理好きなので毎日いろいろ工夫しつくったが、元気な頃は毎晩ビールを
飲みながら「美味しく食べられて幸せ」とよく言ってくれた。
 ここまで書いたら涙が溢れた。でも夫は明るく元気でおっちょこちょいで
派手な私が好きだった。いつも何かに驚いたり、落としたりする度に悲鳴
を上げる私を、ニヤニヤしながら見ていた。
 メソメソしているのはいけない、長年夫中心に生きて来て、出来るだけ
のことはすべてやったが、全く辛いとか、嫌だなどとは唯の一度も思わ
なかった。よく献身的に介護していると言われたが、まるで保護者のよう
だった位置が逆転したが、すぐに「有難う」と言って、素直で介護しやす
い人だった。

 認知症のため子供のような夫と、方向音痴の私は旅行したり、お正月に
突然テレビを見て江の島へ行き、二人で生ビール3杯づつ飲んで橋を渡って
帰ってきたことも懐かしい思い出だ。神代植物公園、高尾山などいろいろな
ところへよく行ったが、いつも必ず二人で乾杯した。
 また今年はコロナのため、久しぶり開催した、サントリーホールの
「ウイーン・ポルプスポパー交響楽団」ニューイヤーコンサートも行った。
夫は子供っポイ私を、ズーット見守ってくれるはず。
これからは明るく前向きに自分の人生を、有意義に楽しく生きて行こうと
思っている。




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有料メルマガ投稿記事 アンドレ・ギャニオン・シリーズを聴きながら・・・

2024-10-09 12:03:43 | エッセー
 朝からとても暖かく素晴らしいお天気、こんな日は家事もはかどりそう
で、気分もとても良い。今日は大掃除をしようと思った。
 アクティブに動くため、私はBGMが欠かせない。すると、急にロマン
チックでムーディなフランスの「アンドレギャニオン・シリーズ」が
聞きたくなった。このCDは大好きで、とても素敵な曲だが、ある忘れら
れない思い出も彷彿として、時には何とも言えないほど、メランコリンク
な気分になる。そのため、よほどハイな気分か、晴れ渡った日でないと
絶対に聴けない曲だが、今日はそれをBGMにして、お掃除が大変はかどった。

 私が好きな曲はクラシック(と言っても難解な曲はダメ)ジャズ、モダン
ジャヤズ、ラテン、タンゴ、昔のロックンロール。
 ダンス教師だったので、無論ダンスミュージュックは大好きだ。
少女時代から音楽の思い出は沢山あるが、中学生の時に先生達が学園祭
で唄った「オールドブラックジョ―」は、その時の素敵なハーモニーと共に
 今でも忘れることはできない。初めて聞いたジャズ、アルゼンチンタンゴ
などは、多感だった私の心のなかに刻み込まれていた。
私立中学校へ通っていた私は、中学の卒業式の帰りに友人達を誘って
以前から関心があった「ソシアルダンススタジオ」へ行った。

 そこでダンスの楽しさを知って、高校時代は親に隠れて「特別料金」
でレッスンをうけ、高2にはかなりのレベルになっていて、先生からは
「20歳になったら、ダンス教師資格験が受けられるから、もう少し
頑張って受けてみたら」と誘われた。でも、それは大変お金もかかるし
両親に内緒ではとても不可能で、その時代未成年はソシアルダンスは
ご法度だった。もしも学校に知れたら大変なことになるので、私は諦めた。
そして今・・・音楽は私とっては「必要で不可欠」なもので、それにより
心がうるおったり、幸せな気持ちになったりすることが多い。
 体をせっせと動かしながら、過去のさまざまなことをイメージしながら
聞いたが、とても懐かしくもあり、その曲は時の経つのを忘れたほど
すてきだった。
 


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有料メルマガ投稿記事より━ 改めて感じた読書の素晴らしさ

2024-10-08 09:23:37 | エッセー
 少女時代から電車の中で本を読むのが大好きでした。中学や高校時代
には、試験勉強は山手線を一周したことがよくあり、電車の揺れと大勢
の中の孤独とがマッチして、少女時代の私は電車の中が試験勉強をする
ための、ベストな場所でした。
 
 電車の中の読書は好きなので、いつも私は必ず本を持って乗ります。
先日も梅丘から下北沢までわずか3分、ある本を再読書していたら、とても
有意義で、思わずのめりこんで、何と一駅乗りこしてしまい驚きました。
 それは曽野綾子著の「老いの才覚」でしたが、改めて読んでみたら、
  「何故老人は才覚を失ってしまったのか」
  「老いの力は自立と自律」
  「人間は死ぬまで働かなくてはならない」
  「孤独と付き合い、人生を面白がる力」など。

 現在の自分にとっても、実に示唆に富む言葉が多く大変感動しました。
そして今自分が生きている意味を、改めて考えたら「自分は高齢者だから」と、気づかずにかなり甘えていることに気づき、「もっと自立して生きなければならない」と、気持ちを引きしめました。これから私は何年生きるか分からないけれど、できたら死ぬ直前まで、「誰にも迷惑をかけずに自立して生きていたい」と思いました。そのためには今まで以上に、毎日自分を無理なく
鍛えなければなりません。

 現在でも同世代の人に比べたら、かなりアクティブに工夫したレッスンを
続けていて、そのためか、健康度は高いのです。
 まして私は認知症の夫を介護しているので、子供達の負担にならにように、人一倍気配りをしなければなりません。「高齢だから誰かに助けてもらうのは当然」と、明らかに見えるような高齢者にならずに、できる限り自立して
生きたいと思ったのです。

「本は二度読め」と昔から言われていますが、読書は本当に素晴らしいと
思いました。私も物書きの端くれですが、これからも自分なりに努力し
たいと思います。それにしても・・・自分が「ほんのわずかな時間に
その内容に集中できる」ことの素敵さ?でしたが、「私の感性はまだ
衰えていない」と、実はちょっと嬉しかったです。



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胸が張り裂けそうな感情

2024-10-07 11:59:41 | エッセー
  夫が亡くなってから半月。今郵便局へ病院で借りたパジャマの代金を
支払いに行きました。するといろいろなことが蘇えってきて、悲しくて
淋しくて、体が震えました。夫の死は100%のストレスですが、淋しが
りで怖がりの私をみんなは心配してくれました。
  人一倍感情が激しい私ですが、お葬式でも取り乱したりせず、自分では
かなり冷静だと感じました。でも、何かにつけて思い出すことがよくあり
これからしばらく続くのだと思うと辛くてたまりません。
 でも、誰にでも愛する人との別れはありますし、色々な病気が
ありながら、92歳まで長生きしてくれた夫には感謝の気持ちしか
ありません。「時ぐすり」早く利いてと願っています。

そんな時はK・Aさんのやさしいいコメントまた読んで、気持ちを静める
努力をしています。本当に有難うございました。

能里子先生
暫くご更新がなかったので、もしやと思いながら日々お祈りをしておりました
ご主人様、穏やかに旅立たれたのですね。今生で能里子先生と長く連れ添われ
本当にお幸せだったと思います。
誠実に生き、支え合い、天寿を全うするご主人様を見守る…先生ご夫妻が
素晴らしい人生をお示し下さったことに感謝の気持ちでいっぱいです。
どうか、ゆっくりご自分を労わって頂き、またいつかのブログ再開をお待ちしております。

 まだ投稿する気持ちになれませんが、皆様方にもご無沙汰してるので
明日からしばらくの間再投稿させて頂きますね。   小池能里子
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9月23日早朝夫は穏やかに旅立ちました

2024-10-02 20:38:32 | エッセー
 夫は狭心症のため70歳でリタイアしました。79歳で認知症歴になり
その他の病気もあり救急車で緊急搬送14回、心臓カテーテル手術13回
という有難くない記録もあります。でも、お陰様で一度も怒らず穏やかで
した。横須賀に住むピアニストの友人の世界三大のピアノ「ベーゼンドル
ファー」で演奏を聴きましたが、亡くなった日が3年前に行った日と
同じだったと写メールを頂きました。
※長年生育した梅丘のピンクの夕焼け

入院して5週間、私はどうしても家で介護したく、お願いして9月5日に退院しました。家庭では先生、看護師さん、ケアの方々の、手厚い手助けで
私は自分なりには最後まで幸せに介護できました。
 一番嬉しかったのは、ベッドから見える「15夜のきれいなお月様を一緒
に見られた」ことですが、二人きりの時間を十分に享受できたことです。

 元気な時は二人で旅行、日帰りのちょっと遠出、近い植物園、公園など
よく行きました。また、サントリホールのニューイアーコンサート、「ウイーン・ポルプスポパー管弦楽団」は、毎年行きました。去年はコロナのため久しぶりでしたが、音楽を楽しんできました。長い介護期間でしたが、趣味や価値観も合う私達ですので、唯の一度も嫌だとか、辛いなどと思ったことはなく、喧嘩した事は一度もありません。でもお陰で男性の平均寿命より10年間長生きして、92歳で天命を全うできました。
※ 孫とひ孫のお見舞いに嬉しそうでした

「お別れの会」は代々幡斎場、家族自由葬でお経もなく、大好きなモダン
ジャズのBGMで、孫3人、ひ孫3人、甥姪や我が家族、親戚だけの予定
でした。ところが参列して下さる方も多く、明るく和やかに見送りしました。
 そのお別れの会は、夫もきっと満足してくれたことでしょう。
超淋しがりで臆病な私ですが、大きな写真に毎日話しかけていて、今夜も
ノンベの私は夫と乾杯しました。

 介護は大変で辛く厳しいイメージですが、こんな介護もあると言う
意味で心臓病のため70歳でリタイアした夫と、仲良く楽しく暮らした
長年の実際の生活をご紹介したいと思いました。
 これから何度かにわたり書きたいと思ったのは、ご両親を介護なさって
いる方、またご主人や、奥様を介護なさっている方に、私自身の長年の
介護経験が、もしかしたらお役に立てるかもと、感じたからでした。
 これらはすべて真実ですが、心理カウンセラーとしても知識を応用
下ことは事実です。ときどき書きますのでお読みくださいね。
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