ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

映画「プライベイト・ウォー」を見て

2019-12-31 03:54:29 | エッセー

 先日予告編を見て、(壮絶だがこの映画は夫の感性を刺激するはず)と感じ

午後から夫と映画を見に行きました。それはアメリカの女性で「記者最優秀賞」

を取った、戦地で亡くなった実在した人物の映画でした。

 何度も戦争の真っただ中に出かけ、その危険な状態で取材をして送り続ける

 一人の女性として、流産、離婚などを乗り越えながら、その情熱を全てを戦地での

取材にむける、その執念はとても並みの女性ではなく、私はそれらのシーンのほとんど

は目をつぶっていました。チラチラ夫を観察していましたが、じっと画面を見ている夫は

その内容をしっかり理解していることが、つぶさに感じ取れとても嬉しかったです。

 

 認知症には感性を刺激することが必要ですが、一般的には「もう何をしても分か

らないから」と考え、その日が平穏に過ぎればと思いがちですが、でも決してそうで

はありません。ふつうの生活ではなく「非日常的な刺激」が必要なのです。

 楽しいこと、感動すること、気づくこと、現代の社会情勢を感じさせること、つまり

「今を生きている現実をしっかり理解できる」ことも、大切な心の刺激です。

この映画は感じやすい思春期に戦争を体験し、その恐ろしさや、苦しさを十分体験

しているので、今現在の平和に対する感謝の気持ちを、改めて夫に体感して欲しかった

からです。私はそんな意味で認知症ではない、以前の夫として毎日対応しています。

 たとえすぐに忘れても、その時点ではしっかり認識できる、そんな意味では大変効果

があったと思いました。

  映画館を出たら外は暗くなっていました。帰りに乗った世田谷線は時折特別に

走る「招き猫電車」でした。山下駅で降り梅が丘まで徒歩約10分、今見た映画や

現在の平和で穏やかで、幸せな生活などについて、話しながら歩きました。

今年は自然災害が多く、広範囲の方々が未だに大変なご苦労なさっていますが

だんだん大きくなる自然の脅威を思うと、その日が無事で過ごせただけでも私は

感謝できるのです。お蔭様で老夫婦は元気で1年間過ごせました。

 皆様方も希望に満ちた幸せな新年をどうぞお迎えくださいませ。

 新年は4日から投稿いたします。             小池能里子

 

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年末の楽しかった夢

2019-12-30 09:20:01 | エッセー

 寝言で「私も着たい!」大きな自分の声で目覚めた。毎日のように夢を

見るが、久しぶりに楽しい夢を見たのは、娘が大学を卒業した日の夢だった。

 3歳年下の息子は大学1年だったが、その頃の生活は本当に楽しかった。

大変私は忙しかったが、私は娘に家事はほとんどさせなかったのは、自分がそう

だったように、結婚して家庭に入れば、嫌でも家事はしなければならないので

今しかない青春を楽しませたいと思ったからだった。

 

 娘が卒業式に来たガウンと、角帽を持って帰ってきたので、息子と3人でワー

ワー言いながら、ダンススタジオで写真を撮ったが、そんなときの懐かしい夢だつた。

 今朝起きて昔の写真を見たら、今よりずっとスリムだつた40歳代中半のまだ若い

自分。いつも笑いが絶えなかった子供達とのとても幸せな時代を、夢で再体験した

ような気がした。今年も後二日、月日の流れは本当に早い、娘や息子も孫を持つ年齢

になった。私も老いたけれど、気持ちだけはあまり変化していない。

 今年は私の干支だったので、少しは向上できるかと思ったが、まったくその兆しは

なかったが、それで良しとしよう。久しぶりの楽しい夢を見て改めて感じました。

 

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懐かしいヨーガの聖地リシケシ

2019-12-29 08:28:10 | エッセー

 昨夜のテレビ番組を見ていたら、懐かしいインドのリシケシが流れたが、私はそこ

のアシュラムへ2週間滞在し、そして長年、求め求めていた瞑想状態を体験した。

それは1985年の12月だった。インドへ通ってから、確か4回目だったが、何年間も

指導者としての色々な経緯があった。その日はまだ明けたばかりの朝、山の上にある

アシュラムからガンジス河を眺めながら、嬉し涙を流した感動は一生忘れることはできない。

 その頃リシケシで修行している日本女性は滅多にないらしく、私達3人はアシュラム

の先生方からも、スタッフ達からも特別待遇された。その頃ご高齢になって、長期間滞在

して修行している人達が一度もお会いしたことがない、(後から大変羨ましがられたが)

アシュラムの最高指導者マハラジに、何度か特別に会わせて頂いた。

 マハラジは3階のベランダに、こうもり傘を差した椅子に座っていらしたが、とてもやさしい

感じの方だった。日本へ帰る日ご挨拶をしたら、マハラジは突然こうおっしゃった。

「マントラを授けよう」と・・・私達は嬉しかっと同時にビックリした。

 それぞれに神様の名の中から「どれを入れたいか?」と聞いて下さった。私はダンス教師

だったので、創造と破壊、またダンスの神様と言われるは「シバ神」をお願いしたので

私だけのマントラにはインドの神様「シバ神」が入っている。

※マハラジと、生涯私のヨーガの先生になったお二人と

  毎朝「チャクラマントラ」と「私のマントラ」を唱えて、瞑想するのが長年の習慣

で、只の一度も欠かしたことはなく、それが私の精神性の根幹だと思っている。

 そして今朝改めて、私の願望は「集合的無意識」にインプットされ、「見えない力

が働いて必ず実現する」と思った今朝だった。

※瞑想に開眼したメディテーションセンター

※先生は車で色々な所へ案内して下さったが、行く先々で大勢の男性に囲まれた

 

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これが最大目標と気づいたT君のお便り

2019-12-28 07:04:01 | エッセー

 先日もご紹介した大学教授で博士になり学術書を出版し、その著書を

送ってくれた、元のダンススタジオのスタッフのTさんに、お祝いとお礼

を兼ねて少しばかりプレゼントをしました。するとそのお礼状が着ましたが

とても嬉しい内容だったので、ご紹介したくなりました。

 「前略 思い返しますと能里ダンススタジオでディスコダンス指導のアルバイトを

させて頂いてから40年近い月日が流れましたが、そこでの指導が人にダンスを指導

したのが私の元点でした 以来舞踊学、歴史学、人類学とさまざまな先生方にご指導

頂きましたが、小池先生を始めとして指導者には本当に恵まれていたことを強く感じ

ております それらの先生方とは今なお連絡を取らせて頂いております   中略

 小池先生から頂いたお手紙に「長生きしたい訳ではないが、見苦しく年を取りたく

はない」と言う表現がありましたが、私も全く同じ気持ちです

 私自身昨年10月に還暦を迎え、これからの人生は天からの贈り物と考えるように

なりました 大学の定年は65歳ですが、それまでは学生の先頭に立ってダンスを

踊っていたいと思いますし、その後も自分の足で歩けない人生は送りたくないと強く

感じております 小池先生は私にとってまさに生き字引的な存在ですので、いつまでも

その颯爽としたお姿で、私ども若輩の前をお歩き頂きたいと思います   後略 」

イタリアフェレンツエの街角 70歳

 

私の目標の一つは、若い方々に「あれほど高齢でも元気でいられる、歳をとるのも

そう悪いことではない」と、年齢を重ねることをネガティブに捉えて頂きたくないこと。

個人的なことを除けば「エイジポジティブ研究家」としての、最大の願望だと気づき

ました。それを確信できたのは、社会的地位のある学者のT君の手紙でした。

「よーし!もうひと頑張りして、もっとステキに年齢を重ねよう」と、またヤル気に

なったお調子者の私は「木登り豚年生まれ」でーす!

その証明として、最近家族で撮った写真と、昔と今の変化を見て下さいね。

 今月ナイトクルーズ

 

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 今年も残りわずか

2019-12-27 10:47:13 | エッセー

 朝からパーッと晴れたお天気だったのに、今雲が出てきた。ベランダで洗濯物を

干しながら空を見上げたら雲がキレイだった。幼い頃から空を見るのが大好きで

今でも変わらない。さっき投稿しようと書いた文章は、マウスを落として探して

いたら消えてしまったが、それには「新聞を大きく広げて読める小さな幸福感」に

ついて書いていたが・・・そしてまた、私は空を見て楽しんでいる。

3階のベランダから見る空はとても狭い、でもそんな些細なことで喜べる私。

 

 夫は「そんなことで少女のように喜んでいるなんて、安上がりだね」と笑うが

今ヴォイトレをしても、同じようなことを感じていた。それは「30年以上前のヴォイトレ

の中のコンコーネがほぼ同じ音程で唄えるなんて、なんて嬉しいことだろう」と。

 ワガママだけど、小さな幸福感に敏感な自分は、とっても得な性格だと・・・

空の雲のは幼い頃から楽しんでいて、いつもにギヤかな私が、「あまり静かな

ので心配になり、見に行ったら縁側で眠っていた」と、母がよく笑って話して

くれた。思いがけなく30年以上前のヴォイストレーニングのテープが見つかり

それをCDにダビングをできたときも、本当に嬉しかった。

 声は私の最大の武器、どんなに容姿が衰えても、大切にしたいと思っている。

 

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