迦羅求羅虫

小さな寺の日々の出来事

2011-08-07 08:57:07 | つれづれ
八月。盆の月に入り、何かと気ぜわしい日々。
このところまた暑さがぶりかえしてきました。
年3回、墓地除草をお願いしているシルバーセンターの方々も、
休憩、そして水分を頻繁にとりながら作業して頂きたいと。
やはり心配になってしまいます。

昨日は広島の原爆の日。
毎年暑さの中で行われる式典を画面で見つつ、黙とうしてきました。
原爆と原発。同じ次元で語ってよいものかどうかはわからないけれど、
やはり今年はそこを外すわけにはいかないのだろうな。

ある人のブログで、俳句の季語で「原爆忌」というのがあるのを知りました。
俳句には疎いのですが夏の季語として使われることもあるのですね。
そして今まさに「福島忌」「原発忌」という造語を新しい季語として
用いた句があると紹介していました。
原発被害に遭っている当事者としては、やりきれなさとともに
反発したい思いにかられると、その人は書いています。
同時に、自らもまた「原爆忌」などの言葉を季節をあらわす風景のひとつのように、
あるいは戦争について語る8月のひとコマのように見て来たのではなかったかと、
自戒を込めて振り返っておられました。

私自身、この度のことで同じような思いを深くしています。
自分の中で何が課題となっているのか明確でないまま
「ヒロシマ」「ナガサキ」という表記を安易に、ためらうことなく使っていました。
傲慢であったと思います。
広島、長崎という土地(たんなる地面ということでなしに)に対して、
敬意を払うということが抜け落ちていました。
そこに亡くなり、またその後の時代を生き抜いてこられた方々に対して、
大変失礼なことだったなあと。

寺サイトのトップに置かせてもらっている言葉は、
そんな私の思いの一部なんです。
それにしても、核の平和利用だなんて、うまく言いくるめられてきたもんだな。