迦羅求羅虫

小さな寺の日々の出来事

夏の終わりに

2011-08-21 18:16:53 | つれづれ
お盆も過ぎて、暑さも一段落。
まだまだ残暑の厳しい日もあるのでしょうけど、
暦だけでなく、確実に秋に近づいているって感じます。

ちょうど去年の今頃は、とあるところでこんな夕暮れのひと時を過ごしていたっけなあ。




さて、昨日も今日も、あちこちで夏の終わりの行事や
様々なイベントがあったようです。
いわき平でも、昨夜は灯篭流し、そして花火があがりました。
といっても私自身はあまり行事やイベントには出向かないので、
どこで何をやっているのかは、後々、テレビや新聞で詳細を知る
ということがほとんどです。

何にしても、今年は皆さんそれぞれに、昨年までとは違った思いで
参加してらっしゃることでしょう。
あの日以前に戻ることは無理でも、せめて日常を取り戻したいという思い。
家を、家族を失った人には酷なことではありますが。

今日、ある人が打ち明けてくれたこと。
「あれからずっと我慢してきた。
声を出して泣くこともはばかられて、ずっと堪えてきた。
地震で家が壊れたわけでもなく、津波で流されたわけでもない。
だからこの私が泣くなんて許されるはずがないと。
でも苦しくもがくような思いは日々積もっていく。
あるとき、話を聴いてもらった人に、
我慢なんてすることない。泣いてもいいんだよと言われて、
堰を切ったように声を上げて泣いた。
子どものように泣いて泣いて。
そして、大人だって泣いていいんだ。
泣くって必要なんだって思った。」

泣いたからと言ってすっきりする訳でもない。
何かがふっきれる訳でもない。
でもちょっとだけガス抜きにはなるよね。

がんばれ、がんばれが背中に張り付いていた日々。
緊張を強いられていた日々。
あなたがずっとがんばってきたこと、私は知っているよ。